誤解される「心理的要因」の意味


心理的要因と心のメカニズムについて

| はじめに |

カウンセリングも含め
心が関わる事柄や領域では

心理的要因」「精神的な要因
という言葉がよく使われます。

どちらも同じような意味としてあります。

しかし、もしかすると
この「心理的要因」という言葉が
世間では少し違う意味として
受け取られているかも知れません。

精神医学の方では
これを『心因・心因性』と呼んでいます。

心理的要因と同じ意味です。

心で起こる体の病

たとえば〝心身(しんしん)症〟という
病態があります。

以前には「心で起こる体の病
と呼ばれていました。

よくご存じの心療内科ですが
元々の理念では
実は、心身症の治療を行なう科目として
設立されたものでした。

そして、厚生省(当時)が
正式な科目として認めるずっと以前から
独自に「心療内科」を設けて
治療に取り組んでいた病院があります。

その出発点にあったのが
心で起こる体の病」という言葉です。

関連ページ
▷▷ 心療内科とカウンセリング

しかしこの言葉も
おそらく「心理的要因」と同じように
誤解して受け取られるかも知れません。

| 世間のイメージでは |

「心理的要因」だとか
「心で起こる体の病」
などの云われ方をされた時に

おそらく、多くの人たちは
次のように受け取ることでしょう。

本人(あるいは自分自身)が
その病気や症状に対して
自覚的・主体的に関わっているもの
・・・という意味として。

しかし、これらの言葉が示すものは
そのような意味とは
かなり違った意味合いを持っています。


心的メカニズム

たとえば、わたしたちには
自分でも意識することのない〝心の働き〟
というものが備わっています。

心的メカニズム〟とも云います。

それをwindowsのPCに喩えるなら

モニターに映し出される
ウインドウズの姿の奥で
目には見えない別のものが
システムを動かすために働いている。

こうした〝心の働き〟
(心的メカニズム)の存在を
最初に認識したのはフロイトでした。

心理的要因」だとか
心で起こる体の病」という言葉は

そのような「心の働き」
〝心的メカニズム〟の存在を認識した上で
語られているものです。

ですから
「心理的」要因と云うからといって

本人が「自覚的な意識」の上で
思考しているものとは
少し違う次元での物語になります。

       

| 反応性という言葉 |

たとえば、
分かりやすい例で申し上げると

彼女に振られて落ち込んでいる
・・・という事だけでしたら
それは「反応性」とされます。

心理的要因という言葉は
あまり使いません。

就職の面接で失敗して
後悔して自己嫌悪になった。
・・・というのでも反応性の状態です。

その原因と結果自体には
なんら不可知なものはないからです。

しかし、面接に失敗して
後悔して自己嫌悪に落ち込み

たとえば、部屋に閉じこもって
誰とも会わなくなってしまった
・・・としたら、
〝心理的要因〟が想定されます。

強く働くとき

フロイトが認識した
〝心のメカニズム〟そのものは
特異なものではありません。

わたし達の意思とは関係なく
「心」があらかじめ備えている働きです。

人間であれば誰にも存在するものです。

そして、こうした〝心的メカニズム〟が
時として、
強く働くような事が起きてきます。

生きることは、誰にとっても
大変なことだからです。

| 神経症など |

心的メカニズム(心の奥で働くもの)
の力が大きくなると
それが様々な症状や行動として
現れて来るようになります。

たとえば、昔から
「神経症」と呼ばれる症状群などは
その中の一つの例です。

関連ページ
▷▷ 神経症でのカウンセリング

神経症のカテゴリーに入りますが、
解離症状(解離性障害)なども

症状の奥に
〝心のメカニズム〟の働きを
想定しているからこそ
「解離」という名前になっています。

寄り添ってゆくこと

このようなとき、たとえば
対話によるカウンセリングの中で

心や頭の中にあることを
ご一緒に少しずつ整理しながら
考えてゆくことで

少し時間はかかるかも知れませんが

心の奥で働いているものに
寄り添ってゆくことが、可能となります。

わたしたちは、
それ(心的メカニズムの働き)を
直接見たり・直接触れたりすることは
残念なから出来ません。

でも、その代わりに
心の働きに寄り添いながら、
一緒に考えることは出来るからです。

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