【心因(しんいん)】とはどういう意味か


心因の意味について述べています。

| 心因・外因・内因 |

歴史ある伝統的な精神医学では
昔から、様々な病態について

その病態の元にある発病要因を
内因性・外因性・心因性という
三つの領域に捉えてきました。

木村 敏 精神科医・精神病理学
精神医学では以前から、内因・外因・心因の三つの原因領域を、区別して考えていました。

心因性とは、心理的な要因が元になって生じた病態について云われる言葉です。
最近話題になっている「PTSD 心的外傷後ストレス障害」や「解離性障害」などは、複雑なものですが、これも心因性です。
昔から「抑うつ神経症」とか「神経症性うつ」と云われてきた病像なども、もちろん心因性のカテゴリーに入ります。
というよりもむしろ、そういった神経症性の病像こそ、心因性の病態の代表的なものです。

外因性というのは「器質性」というものと、だいたい同じ意味です。
身体あるいは脳に、具体的に確認できるような形で生じている疾患や病変によって、二次的に精神的な症状を引き起しているものを指します。

そして、こうした心因性・外因性を除いたものを「内因性の精神疾患」と呼んできました。
精神医学の中心的な病気、つまり統合失調症・本格的なうつ病(内因性うつ病)や躁うつ病・パラノイアと呼ばれる妄想病、いわゆる非定型精神病などは、すべて内因性に分類されています。

精神医学という専門領域が、内科学から分離して存在している理由。単なる心療内科ではない精神科というものの存在意味。それが内因性の疾患なのです。

もしそれが心因性や外因性にすべて解消してしまえるものならば、精神医学の存在理由なんか、どこにもなくなってしまうはずのものなのです。

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| 心因と心理的要因 |

心因あるいは心因性という用語は
上の説明にもあるように、
〝心理的要因〟という言葉と
同じ意味としてあります。

そして、心理系の領域では、
心理的要因」という言葉が使われ

精神医学の領域では、
心因性」という用語が
使われることになります。



| 心因性とは |

心因の意味については、

たんなる概念説明ではなく
臨床に即して語っているのが
神田橋條治氏です。

『神田橋條治 医学部講義』創元社。から


「心因」というのはどういうことか。
たとえば、大阪の池田小学校で、たくさんの子どもさんが傷つけられたり、殺されたりしたけれども、死んだ人は当然心因反応を起こしません。生きている人だけが起こすものです。

あの事件の時、ケガをした人がいます。そばにいたけど免れた人がいます。見ていただけの人がいます。話を聞いた人がいます。一つの事件だけど、関わり方によって人それぞれ条件が違う。状況が違う。

人に現れる精神的・心理的な症状は、だいたいショックの大きい人が重くて、小さい方が軽いだろうと思うね。これはその通りです。

だけども、たくさん傷を受けた人がいちばん重い心理的な症状が出てくるかというと、そうではないの。いろいろあるんです。たとえば話を聞いただけで、ひどい心理的な反応を起こす人もいます。

そうすると、ケガをしたとか、現場を見たとか、話を聞いたというのは、それぞれの人の状況であって、状況が、そのままイコール心因の現れ方や程度に繋がるものではない、ということなんです。

状況因と、プラスそれを受け取る個体(人)との組み合わせによるものなんです。
別の言い方をすれば、状況因と個体との関係の中で、ひとりの人の中に、ある心の体験が作られる。

だから心因とは、言い方を換えると、その人の中にどのような心の体験を生じたか、ということでもあるのです。

そして、体験の意味というものは、体験した人によって違ってくるものです。
したがって〝科学的〟ではないということで、「心因反応」という言葉は曖昧だから使われないことになっていった。

つまり「心の体験」というものは数値化できるものではないし、しかも人によって様々に変わってくるというもので、本人の言語表現によってしか、他人からは捉えようがない。しかも本人自身でもよく分からなかったりするし、うまく言語化できない、ということだって多い。
だから〝科学的な概念〟としては曖昧だということで、心因という言葉は診断学のいろんな体系からは排除されたの。

| 心因とは察するもの |

なのに、なぜ精神科では「心因反応」という言葉を使うのか。
それは臨床の現場で「心因」という言葉が、いつも頭にあるといいからなんです。

そして「心因」というものは何によって捉えられるかと言うと、「察する」ことによって捉えられるんです。

心因の存在は、診断されるわけではないの。そうじゃなくて、心因というのは、「○○じゃないだろうか・・・」と想像して、察してあげるわけです。

さっき話に出た八十四歳のおじいさんだったら、「この人がウツになられたのは、やはり歳を取って、いろんなものから離れてしまったために、喪失感を深くして憂うつなられたのだろうなあ」と察する作業がある。

それがなくて「症状評価尺度でやったら『うつ』だから抗ウツ薬を出す」となると、それは人というものを考えない〝科学〟です。数値化されたハッキリしたものだけを取って、それで薬を出すという形になると、人の命はメチャクチャになってしまう。

医学だけで治療をするとムチャクチャになるの。
何故なら、治療や臨床には、うんと曖昧な領域がたくさんあって、お天気とか、食べ物とか、周りの人と何を話したかとか、どんな事が起きたか、本人がどう感じてどんな気持ちになったかというような、〝数値〟では捉えられない要因がたくさんある。

そのときに、医療従事者に「察する」力があれば、道具としての医学を間違った使い方で患者に用いることがないようにできる。
そういう察する力を残すために「心因」という言葉は、まだ残しておいた方がいいんだと思います。

神田橋條治

| 心の体験と心因 |

上の説明にあるように
心因とは
現れている症状や反応・病態というものが

体験した出来事や状況等を
その人が
どのようなものとして感じ受けて、
どのような内的なものを生じたか

・・・という、心のプロセスから
直接的に生じている
あるいは
それが元になって生じている
と想像されるもの。

それを「心因(心理的要因)
あるいは「心因性」と呼びます。


| 前意識を舞台とする |

しかもこれらの「心の体験」
あるいは、内的なプロセスの多くは

「自覚的な意識」の領域ではなく
〝前意識〟が舞台となって行なわれます。

そのため、本人自身でも
よく分からなかったりするのです。

ちなみに、前意識とは
「自覚的な意識」と「無意識」との
境界にある領域を云います。

そして前意識は潜在的に
自覚的な意識とも
そして無意識とも
交通可能な領域と考えられています。

ですので、いくつかの条件が揃えば
前意識に在るものが
意識化されることも可能ですし

無意識に在るものが
前意識を通して
意識化されることがあります。

カウンセリングで〝気づき〟と云われるものが
それに当たります。

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