「整理する」が意味すること(カウンセリングの話)

カウンセリングのこと

森のこかげ ロゴマーク

カウンセリングにおける「整理する」とは
どのようなことを意味しているか。
そのことを
お伝えしています。

Image for decoration(花壇の草花)

はじめに

わたしは昔から
カウンセリングを説明する際に
「整理する」という言葉を使ってきました。

「整理しながらご一緒に考えてゆく」
・・・というように。

ですので、〝整理する〟という言葉に
どのような意味を託しているかを

お伝えしてみたいと思います。

もしかすると、それを通して
間接的にですが

カウンセリングというものをも
お伝えできるかも知れません。

少し長くなりますが、
お読みいただけると幸いです。

Image for decoration

カウンセリングのはじまり

ご存じのように、カウンセリングは

カウンセラーが
ご相談者の語る言葉やお話を道標みちしるべにして

「理解しよう」と努めるところから
始まるものです。

内的体験への眼差まなざ

この〝理解しよう〟とする姿勢と眼差しは
第一義的には
語る人の「内的な体験」へ向けてのもの、になります。

第一義だいいちぎとは・・・
物事の根本の意味や意義、を指す言葉。

もちろん
他者の心や内的な体験を理解することは
とても難しいことです。

不可能なことだ、と云われたら
確かにその通りです。

しかし、専門的な事柄になり過ぎるので
ここでは入ってはいきませんが

そう〝努めよう〟とすることに
カウンセリングでは
大変重要な意味が生まれてきます。

理解する、という言葉を巡って
ここでは二人の著名な臨床家の言葉を
取り上げたいと思います。

下坂 幸三 精神科医・心理療法
カウンセラーのもっとも大切な仕事は、クライエントのさまざまな体験を、できるだけありのままに理解しようとすることであり、
そのためには、カウンセラーの心は、あたかも大きな空の袋のようであり、先入見にとらわれない柔軟性に富むものであることが、本当は理想である。

土居 健郎 精神科医・精神分析
もっとも大切なことは、患者・クライエントを理解しようとすることである。
しかし、もちろん他者の心は容易にわかるものではない。
そのため、何か専門的な概念を持ってきて、それでもってクライエントの言動を分かったつもり、になることが行われている。
典型的な例は、精神分析の概念や用語を借りてきて、それでもって分かったつもりになることである。
その他にも、心理学や精神医学などの種々の概念が、この目的に乱用されることがきわめて多い。
ところで、このような浅薄
(せんぱく)な行為は、クライエントを理解するということとは、まったく無縁なことである。

こうしたことが存在しない関係は
「形式的な形」がどんなに似ていようとも
カウンセリングとは
根本的に異なるもの

・・・そう云えるでしょう。

傾聴のこと

たとえば
「傾聴」と云われている行為は
そのために必要不可欠な行為です。

たとえば下坂幸三氏が、それを
あたかも、なぞるように聴いてゆく
と表現してるように

臨床家それぞれが
自身の言葉で様々に表現を試みています。

ただ黙って聴いていることが
「傾聴」ではないということを
知っておいていただきたいと思います。

フロイトの助言

フロイトの顔写真

「傾聴」という言葉こそ使いませんが
フロイトは、同じ意味内容のことを
『治療者への助言』の中で述べています。

(自分の気持ちや感情から、相手の話に対して)注意を向けたとたん、特定の部分にひどくこだわり、他の部分には意識が向かなくなる。
このような意図的な注意の向け方は、治療者
(聴いている側)が予め持っているもの(先入見や個人的な志向)だとか、治療者(聴いている側)自身が抱えている問題に影響された選択となる。

しかし、このようなことこそ、してはならないことなのである。
このような注意の向け方をしていると、すでに分かっていること以外のことを決して見つけ出すことはできない、という危険に陥る。

フロイト『治療者への助言』


Image for decoration(花壇の花)

クライエント・センター

そして
上に記したことを行なう関係や場として

クライエント・センターであることが
尊重される関係や場であること

・・・そのように云われています。

〝クライエント・センター〟とは
カウンセリングの世界では神様的な存在である カール・ロジャースの言葉です。

カール・ロジャース顔写真

クライエント=ご相談される方の
心のペースが中心であること・
センターであること。

センターであるよう配慮すること。

クライエントの心のペースを無視して、カウンセラーやセラピストが自分中心で進めて行ったり、自分のやり方で操ってゆくものではありません。
・・・という意味の言葉です。


ウィニコット顔写真

彼(ウィニコット・英国の著名な臨床家)が解釈をすることはめったにありませんでした。するとしても、すでに私がその場所に達していて、事柄を意識化できるようになっている時だけでした。
ですから、彼の解釈は聞いた瞬間、その通りと感じられるものでした。

けれど、彼は「それはこうだ」
といった態度はとらず、
「こうじゃないかと思うけど」とか。
「〜 なのかしら?」とか。
「〜みたいに見えるね」と言うのです。

彼の言っていることを私に味見させて、受け入れるか拒否するか、の自由が私に与えられている雰囲気です。
マーガレット・リトル

Image for decoration(一輪の白い花)

意識の深い働きによって

クライエント・センターであることが
尊重される場の中で
ご一緒にお話しを続けてゆく時

ご相談者の頭の隅に
よく分からずに放置されていた事だとか。

心や頭の中に、ただ散らばっていたもの。

意味のない事として
忘れ去られていたもの。

深いところで感じていたけれど
意識がされずにいたこと・・・などが

結晶が作られていくように
それぞれが繋がり合い
整理されてゆくことが起きてきます。

        雪の結晶
          雪の結晶

それは
クライエント・センターの場だからこそ
起き得る事だということが
カウンセリングの研究で分かっています。

そしてカウンセラーは
クライエント・センターの場であるよう
配慮し努めながら

ご相談される方の気持ちや頭の中が
少しずつ整理整頓されていくための
お手伝いをすることになります。

気づきと自然治癒力

そして
これらの土台の上に

大切な気づきや新たな理解、と云われる
意識の深い働きが

ご相談者自身の中で
あるいは
ご相談者とカウンセラーとの間で
生まれてくることになります。

あわせて、
〝自然治癒力〟と呼ばれる
心・身の協働を必要とする複雑な働きが

その人の内側で
動いてゆくことになります。

〝気づき〟が本物であるときには、「前々から知っていた点を改めて知った」という感触を伴うことが多く、そのような特徴を持つとき、その気づきは必ず治療の力を発揮する。
神田橋條治 精神科医

Image for decoration(秋の花壇)

身に付けることの難しさ

しかし、中井久夫氏が
面接の技量は、長い修練と工夫を経てしか身に付けることができない。
・・・と語り

下坂幸三氏が
職人やスポーツ選手の世界では、天賦の才に加えて、とことん修練を重ねた者が名人と呼ばれるようになる。心理療法の世界とて、例外ではないでしょう。
・・・と語るように

一朝一夕で、こうした事が
身に付けられるものではないものです。

さらに実際のカウンセリングでは
一回一回がすべて違いますし

様々なことが起こり得るので
臨機応変な対応が必要となりますが

上に記したことを
整理する、という言葉に託しています。

カテゴリーカウンセリングのこと