
神経症とカウンセリング
| はじめに|
ここではカウンセリングを
お考えの方に向けて記しています。
少し長くなりますが
お読みいただけると幸いです。
| 診断名の細分化 |
昔から「神経症」と呼ばれてきた
症状や状態があります。
かつては「ノイローゼ」とも
よく呼ばれていました。
一般に、神経症と言うよりもノイローゼのほうが通りがよいであろう。
しかし、このドイツ語は、もともと神経症を指す言葉だったが、日本では意味がぼやけてしまった。
中井久夫 精神科医
神経症としての症状は
「人の数だけ存在する」とも云われ、
精神的・心理的な症状から
身体症状や行動として現れるもの。
更には、身体感覚の違和感として
現れてくるものまで、
様々な症状が見られます。
ただ、最近では「神経症」という用語は
一般向けには
余り使われなくなっています。
しかし、使われなくなったのは
神経症というものがなくなったから、
ではありません。
神経症と呼ばれる分野は、あまりにいろいろな症状があり、
しかも「最近の出来事や抱えている悩み」が原因として大きいものや、「心のクセ」が原因となっているもの。「生まれつきの体質や気質」が原因として大きいものなど、さまざまです。
ですから、神経症という大雑把な呼び名を廃止して、症状ごとのたくさんの診断名に分けた方がよい、と考える傾向になっています。
神田橋條治 精神科医
そういう訳で、
病名や診断名に細かくこだわっていても
余り意味がありません。
ちなみに
1980年代くらい迄は
「道に落ちている犬のフンを、
知らずに踏んでしまうのではないか」
・・・という不安にひどく囚われて
外を出歩けなくなる。
そうした人が、しばしば存在しました。
(恐怖症あるいは不安神経症)
| 動物園の動物にも |
ちなみに、
私たちの仲間である動物園の動物にも
神経症やストレス症状が
広く見られることが知られています。
| 神経症と症状 |
神経症に限らないことですが、
〝症状〟とは深い意味において
その人にとって
何か大切な意味があって・・・
あるいは、もしかすると
何か必要があって現れ出ている・・・
ものかも知れません。
しかも、この場合の
〝意味〟とか〝必要〟というのは
「雨が降りそうなので傘を持っている」
・・・というような、
単純で分かりやすく目に見えるもの
・・・ではないところに
その深い特徴があります。
症状の羅列をもってして、その人を理解することなどは、ありえない。
症状には、それなりの意味があり、歴史があり、必然性があってあらわれてきているのであろう。
そういった背景を無視することは、臨床家のなすべきことではないのである。
小倉 清 児童精神科医
症状そのものは病気ではありません。
たとえば身体の症状の場合でも、生体が自己防衛のために、そういう症状を出しているわけです。
だから、すぐに解熱剤や頭痛薬で、安易に症状を取り除くことは、考えものなのです。
「症状」とは病気ではありません。本当は病気(つまり症状をもたらしている元にあるもの)を治さなくてはいけないので、症状はむしろ、体が病気に反応して出しているものなのです。精神的なものも同じです。
木村 敏 精神科医・精神病理学
強迫症状に悩んで
カウンセリングにいらしていた方から、
病院でのカウンセリングに行っていた時には、症状の話ばかりだったけど、ここだと、症状のことだけでなくて、いろいろな話を聞いてもらえるので、自分に合っている。
そう云われたことがあります。
| 身体に現れる症状 |
身体の〝機能障害〟としての神経症も
よく知られています。
機能障害というのは、
肉体には具体的な異常や病変は
見られないのに
何故か、その動きや働きの面で
失調がみられる状態です。
身体生理的に言い換えると、
随意筋による不随意運動として
表される症状のことです。
| ジストニア |
たとえば、役者さんの中には
セリフを喋っている時に
口が思うように動かなくなる症状に
苦しむ方がいらっしゃいます。
ジストニアと呼ばれます。
カウンセリングにもお越しになります。
| 書痙(しょけい) |
昔から知られている症状に
「書痙(しょけい)」があります。
字を書こうとすると
腕や手がこわばり震えて
字を書けなくなる症状です。
「書痙(しょけい)」と似ていますが、
音楽大学の在学生だとか
音楽教室の先生の中には
楽器演奏にかかわる指や手が
思うように動かなくなる、
という症状に悩むケースがあります。
手や指に身体上の異常は見られません。
スポーツ選手に見られるイップスも
このカテゴリーに入ります。
「神経性頻尿」といって、
わずかな量の尿でも
強く耐え難い尿意を感じる。
こうした頻尿感が
精神的な要因によって起こることを
「神経性頻尿」と云います。
神経性頻尿は
一時的なストレス症状としても
よく見られます。
膀胱は、心臓や消化器と同じように情動の影響を受けやすく,その結果として排尿の異常が起こり得る。
たとえば、試験の前には、排尿後であっても、わずかな尿量で強い尿意を感じることは、誰しも経験することであろう。
精神的な緊張が、膀胱刺激を容易に変動させる。
神経性頻尿の心身医学的研究
こうした
〝身体の機能障害〟としての神経症を
「転換型」と呼んできました。
ちなみに、
著名な精神科医の中井氏が
次のような皮肉を投げかけています。
今は昔のような転換型の神経症が見られなくなった、とも言いますが、この病名が避けられ、心身症と命名する傾向があります。
その方が治療者にとって安心できるからかも知れません。
中井久夫 精神科医
| 歌手・田辺靖雄さんのケース |
歌手の田辺靖男さんのケースも、
こうした病態だったかも知れません。

ある朝、仕事に行くために玄関を出て、歩こうとしたとき、両足の付け根に激しい痛みが走って、そのまま一歩も歩けなくなってしまった。足を踏み出そうとすると激しい痛みが襲ってくる。
すぐに病院へ連れていってもらい、その日から車イス生活。
通院しながら、病院でありとあらゆる検査をしたけれど、どこにも異常が見当たらない。「原因不明」と告げられた。
そこで、すぐに入院するよう云われた時、奥さんで歌手の九重佑三子さんは、「原因が分からず、治療法もないというなら、入院させる意味がありません」と云って、自宅に連れて帰って来たといいます。
その日から、自宅で夫婦二人三脚で養生をしていく中で、また元気に歩けるようになり、1年後に仕事に復帰したということです。
玄関から出ようとして歩けなくなる暫く前から、体調の変調があったと云います。
たとえば、あくびが出て仕方がない。とにかくあくびが出る。
それから歌詞が覚えられなくなっていた。ぜんぜん歌詞が頭に入ってこなくて、ステージに出てもうまく歌えなくなっていたけど、忙しかったので、とにかく仕事をこなし続けていた、と云います。

もしかすると、発症のしばらく前から
疲労とストレスによって、なんらかの葛藤状態にいらしたのかも知れません。
奥さんの九重佑三子さんは、
「絶対に治る、良くなると信じていた」
と語ります。
もしかすると奥さんは、
ご主人を見ていて
何かを感じていたのでしょうか。
ただし、一見神経症ではないかと
見まかうような機能障害が
中枢神経の疾患による場合もあるため、
まず検査が必要です。

| 道を見失わない為に |
神経症からの回復を
ご一緒に考えてゆく時に
注意すべきことは、
〝症状〟を取り除くことを
直接の目的・目標にしたり。
あるいは、
〝症状〟がなくなることにしか
両者(カウンセラーとご相談者)の目が
向かずにいると
深い森の中に入り込んで
道を踏み迷うような事になりかねない
・・・という事があります。
時代状況を反映して、心身症やストレス関連の病態が激増していますが、治療は必ずしもうまくいっているとは言えません。
臨床経験があれば、容易に理解できることですが、マニュアル的な治療では殆どうまくいきません。
個別的で複雑系である人間の内面は、マニュアル的治療では、うまく扱えないからです。
河野友信・心療内科医
安永 浩氏(精神科医)は
次ぎのようなケースを記しています。
長年の神経症症状が見事にとれて医師・本人ともども喜び合ったのに、突然自殺を遂行する、といったショッキングな例も実際に存在する。
安永 浩 精神科医
著名な精神科医の木村 敏氏も
このような体験を記しています。
私は以前、自分が診察していた若い患者さんが、症状が取れたとたんに自殺をしてしまったという、苦い経験をしたことがありますが、この経験から、十分な治療関係が築かれてゆく前に、症状だけを治療するのは、ときとして非常に危険なことだ、という教訓を得たように思っています。
木村 敏 精神科医

| 気持ちを整理しながら|
もうこれ以上良くなりたくない。
治りたいと思っている筈なのに(症状が)なくなってしまったり、良くなってしまうのが、とっても不安なんです。
ここで良くなってしまったり解決してしまったら、いま迄の時間がすべてムダだったようで、虚しくなりそうです。
落着いてきて、(症状が)気にならなくなってきたら、自分の中がカラッポになってしまったような、ひとりぼっちで暗闇に落ち込んでしまったような、そんな気持ちになってしまいました。
これらの言葉は、
面談の中で、ご相談者の方たちが
自ら語ってくださったものです。
意外に思われるでしょうか?
もちろん、みなさん
ご自分の状態に悩んでいるし、
どうにかしたいと思っていらっしゃる。
ですから
カウンセンリグにもお越しです。
と同時に・・・
カウンセリングを続けてゆく中で
自分の中の別の気持ちと出会い、
それを少しずつ
消化していった方のほうが
むしろ、結果が良いように思います。
症状とお別れすることは
場合によっては、
それだけ大変なことだからです。
故・下坂幸三氏は、
このように語っています。
症状が良くなってくると、だんだん患者さんは、それをためらうようになります。なかなかそれ以上進まない時期が来るようになります。
フロイトはそれでいいんだ、と言いました。
無理に治そうとしなくていいよ。
症状を温存しながら、気持ちのありようを、少しずつ消化していくことが大事だよ、と ・ ・ ・
下坂幸三 精神科医・心理療法家

| 寄り道をしながら |
神経症に限らず
回復に一直線は禁物です。
寄り道をしながら、時々休憩して
道端の草花を眺めながら
歩いてゆきます。
遠回りに思われるでしょうか。
でも遠回りに見えて
結局は一番の近道、ということは
案外多いかもしれません。
カテゴリー【心と身体】