
心療内科の成り立ち
| はじめに |
カウンセリングにいらした方から
心療内科なのか、それともカウンセリングがいいのか、よく分からずに迷っていた。・・・・・・・・・・
心療内科に行くべきか、カウンセリングなのか考えていましたが、薬でわたしの問題が解決するんだろうかと思い、カウンセリングに申し込みました。
時折、こうした声をお聞きします。
そこで、ここでは
何かの参考にしていただく意味で、
心療内科の成り立ちなどに
簡単に触れています。
| 心療内科のイメージ |
心療内科だとか
精神科クリニックに通院されている方も
カウンセリングにお越しです。
お話をうかがうと、特に
心療内科を受診される方の中には
なんとなく、じっくり話や悩みを
聞いてもらえるようなイメージを抱いて
受診される方も、多いようです。
それはつまり、
カウンセンリグ的なものを期待して
受診されていることになります。

しかし、心療内科も
耳鼻科や内科・眼科などと同じ
病院やクリニックの診察科目の一つです。
症状を聞いて薬を出し終わり・・・
という診察が多くなります。
患者さんが多いので診察時間が短くなる、
ということもありますが
基本的には、そのようなところです。
ある時、女性のご相談者から
こんな話をお聞きしたことがあります。
メンタルクリニックを受診して、いま話したような事を(診察の時に)少し話したら、ここでは不安を緩和する薬を出せるだけなので、そういうことは、ご主人と直接話し合ってください、と云われた。
むしろ、良心的なお医者さん
・・・かも知れません。

| 心療内科のはじめ |
心療内科という診療科目は、
1995年に起きた
阪神・淡路大震災を契機に
厚生省(当時)から
正式に認可される形になりました。
しかし、それ以前から
独自に心療内科を設置して
治療に取り組んでいた病院があります。
その出発点にあった言葉が、
「心で起きる体の病」でした。
つまり元々の理念では、心療内科とは
発症や悪化の背景に心理的な問題が
大きく関わっている体の病気。
・・・つまり
「心身症」を診るところとして
考えられていました。
ですので〝内科〟とあります。

| 現実の心療内科 |
身体病には心身症が多いことは
昔から知られていた、と云われます。
つまり精神的・心理的問題をまったくほんものの身体病として現すということであるから、患者は身体病の診察を受けることになる。
中井久夫 精神科医
心身症は体の病気・体の症状として
発症するので、
患者さんは、皆さん
内科や婦人科、耳鼻咽喉科など
体の診察科を受診し、通院されます。
心療内科を受診する人は
現実には、いらっしゃいません。
したがって現実の心療内科は
精神科よりも、イメージ的に
受診や通院の敷居が低いために
プチ精神科のようになっています。
このような現実があるため、
精神科医が独立開業する場合にも
「心療内科」を掲げることになります。

| 精神科臨床の問題 |
精神科医療での診断・治療の劣化が
危惧されるようになってから
もう久しくなります。
例外は、もちろんありますが
全体を俯瞰した時に
その観はさらに
深くなっているかも知れません。
今日の精神医学は、社会の変化に対応した臨床を提供できていないように思います。
患者さんは多様であり、人それぞれに異なっています。そのためには精神療法的(カウンセリングと意味は同じ。医者は精神療法という言葉を好む)な視点が必要なのに、残念なことに精神科医たちの多くは、患者を薬物治療の対象としか見ていないように思います。
井原 裕 精神科医
薬だけでよくなるのであれば、誰も苦労しません。
星野 弘 精神科医
わたしの尊敬する先生で
著名な精神科医の神田橋條治氏は、
このように語っています。
医師免許を取りたての人は治療はできないですね。大学には治療学という講義がないのを医師はみんな知っているけど、世の中の人は知らないからね。
みんな医学部で治療を教えているだろうと思っているけど、治療学はありません。
一般には知られていないが、医科大学では治療学の授業は行われていない。
卒業し、国家試験に合格して医師免許を得たのち、先輩に指導され、自身で経験から学びながら治療法を身につけてゆくのが、医師の職業人生である。
したがって筆者のような老医のほうが、八割がたの病気の治療については、大学の先生より上手なのである。
神田橋條治
神田橋先生は、
随分と謙遜して書かれていますが
この二つの文で指摘されていることは、
なにもお医者さんだけに
限ったものではありません。
たとえばカウンセラーについても、
まったく同じことが云えます。
つまり臨床とはそういうものだからです。
そのため、行なう人による違いが
とても大きくなります。
下坂幸三氏(精神科医・心理療法家)は
次のように書き残しています。
心理療法(カウンセンリグと同じ意味)に志す者なら、青年・壮年期には一日七・八時間、臨床に打ち込める時間が持てたら幸せです。
職人やスポーツ選手の世界では、天賦の才に加えて、とことん修練を重ねた者が名人と呼ばれるようになる。心理療法の世界とて、例外ではないでしょう。
難しい例も敬遠しないで、多数の経験を積まなくては、いつまでたっても腕の立つ心理療法の職人にはなれない、と信じます。

| 荻野目慶子さんの体験から |
たとえば、女優の荻野目慶子さんが
自らの体験を雑誌に記しています。
荻野目さんは
ご自分のマンションの部屋で
恋人が自殺しているのを発見します。
きっかけは十年前、恋人であった人が自絞首してしまった事だった。
スキャンダルとして扱われ、生きる上で窮地に立たされた。家族を含め多くの人に迷惑をかけ、借金を背負い、しかし仕事は難しくなり、八方塞がりだった。私の場合、運が良かったのは救いの手を差しのべてくれる人もいたことで、なんとか、その場、その場をしのぎ、時間は過ぎていった。表面上は。
私はお酒もギャンブルもやらない。もしやっていたら完全に中毒になっていただろう。けれど日々、死への誘惑に走らないようにする事に疲れ果て、睡眠導入剤なしで眠れない人間になってしまった。
当時、病院を何軒、回っていたことだろう。精神科医にも何人、逢ったことか・・・。
私の場合、本名と芸名が同一のため、その度に好奇の目を感じ、およそ心の内など話せる状態には至らず、「こんな人間が精神科医に?」という疑問、裏切られたような哀しみ、やり場のない絶望感に打ちのめされ、薬だけを手にして逃げるように去った日々。
分厚いアンケート。見ただけでウンザリする、或いは気恥ずかしくなるようなアンケートをさせる病院もあった。自律神経失調症に関する本で探したもその道では有名な病院だったが・・・。
おきまりのアンケートで人間を図面化し、それを入り口にして何が見えてくるのか。
どうしてまず最初にその人間の印象・・・眼光や挙動、そのとき発信している空気を感じようとはしてくれないのか。
『自殺で残された側は ・・・』
カテゴリー【心と身体】