自覚症状と他覚症状―臨床診断で欠かせない二つの症状

臨床のはなし

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この記事では、二つの症状。
すなわち
自覚症状と他覚症状について解説しています。

他覚症状のことを、
正式には「徴候(ちょうこう)」と言います。

他者(医療であれば医師)が、
本人が外に表出しているもの
(雰囲気や表情、様子や言動)を捉えて判断するものです

自覚症状とは、
本人自身が感じ訴えるものです

適切な臨床診断のためには
どちらも必要不可欠なものです。

臨床診断に必要なもの

臨床の観点からは
「症状」には二つの種類があります。

その二つは、どちらを欠いても
たとえば医療であれば
適切な臨床診断が望めなくなります。

ひとつは『自覚症状』であり、
もうひとつは『徴候(ちょうこう)』という他覚症状です。

自覚症状とは

自覚症状とは
本人自身が感じ訴える症状のことです。

慣習的には略して「症状」と呼んでいます。

ですので、単に症状という時には
自覚症状のことを指しています。

具体的な症例から・・・

たとえば次のような、
自分という実感が希薄になる体験も
「自覚症状」として語られます。

自分というものがまるで感じらない。何をしてても自分がしているという感じがしない。私の体もまるでわたしのものでないみたい。
以前は音楽を聴いたり絵を見たりするのが好きだったけど、いまは絵を見ていても、いろんな色や形が、ただ脳の中に入り込んでくるだけ。なんにも感じられない。
(・・・以下略)
『木村敏 著作集 5巻』から

ここで訴えられているもの、
これらはすべて自覚症状です。

そして、この患者さんの例でも分かるように、
自覚症状とは
症状として語られるのではなく
本人の主観的な体験として、訴えられる形をとります。

ですので、
「(患者さんの)体験を聴く」という表現がされたりします。

そのため、
体験つまり症状を聴き取る能力には、差が生まれます。

徴候(他覚症状)について

では、『徴候』について見てみましょう。

徴候とは、他者、具体的には医師等が
観察して判断するものです。

姿や表情、雰囲気や言動など、
本人が外に現わしている「表出」を手かがりとするものです。

ですので、徴候のことを別名
「他覚症状」と言います。

「他者によって捉えられる症状」
という意味です。

ひとつの具体例として、
中安信夫氏が、うつ病の診断に触れて
このように記しています。

(診察時にみられる)
全般的に緩慢かんまんな動作や挙動。
うつむきがちで萎縮いしゅくした姿や雰囲気。
苦渋くじゅうを呑み込んだような、同時に生気を失った表情。
こちらからの質問に対する即答性に欠け、返答までに間があき、途切れがちな応答ぶり。ゆっくりした抑揚に乏しい小声など。
こうした表出の観察なくしては、うつ病の鑑別診断はできない。

中安信夫 精神科医

ここで「表出」と呼んで
ひとつひとつ挙げているものが
うつ病の患者さんが表している「徴候」です。

中安信夫氏は徴候の重要な意味について
次のように語っています。

表出、すなわち他覚的所見を欠くならば、臨床診断は、症状すなわち自覚的訴えのみに基づいて行われることになる。
しかし、自覚的訴えとは主観であり(他覚的所見なしの診断は)客観性を失ったものになる。

ここで他覚的所見と言っているものが
上にも記しているように他覚症状であり、徴候のことです。


自覚症状と徴候とを一緒にして
「症候 (しょうこう)」と云います。

精神病理学でよく見かける『症候学』とは、このことです。

内と外とでひとつになる

「内」とは自覚症状のことであり、
「外」とは表出されるもの、すなわち徴候のことです。

中安信夫 精神科医
私は長い間大学病院におりまして、多くの研修医を指導してきましたが、研修医が行なう最大のミスは、患者の表出は〝見えても見えず〟
患者が語り訴える症状や体験は〝聞いても聞こえず〟で、徴候と症状を、把握できないことに起因する。


この記事では、
精神科医療の例を中心に見てきましたが、
症状と徴候の関係は
カウンセリングの臨床でも変わりません。

カウンセリングでは「症状」や「徴候」という言葉こそ使いませんが、
ご相談者が語り・訴える体験と、
カウンセラーが五感を通して感じ取るもの。
この二つが織りなす中で面談が展開していきます。

ですので、実際にお会いすることなく
オンラインやお手紙・メールだけで
関わってゆくことは

片方が欠けた状態であることを
よく自覚しておく必要があります。

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