対話によって啓 (ひら)かれてゆくもの 〜 カウンセリングの世界

カウンセリング Essay

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〝対話〟とは
心の世界へのアクセスを可能にするもの

この記事では、
カウンセリングにおける対話」というものの内に秘めた本質について、触れています。

とても短いエッセイですが
お読みいただけたなら幸いです。

心が存在する

心というものが存在します。

心は、目にも見えず
手で触れることはできないけれど
カウンセリングを長く続けてくる中で
「心」というものを
深く静かに実感していくことになります。

そして同時に、
カウンセリングを続けてくることで
次のような思いにも至るようになります。


こころ (心) の世界には
〝対話〟によってしか届かないもの。
〝対話〟によってしか
 触れ得ないものが存在する。

カウンセリングの実際の経験が
このような思いに導いてくれます。


対話的関係の世界

〝対話〟によってしか届かないもの。
〝対話〟によってしか触れえないもの。

〝対話〟という言葉を
括弧付きで記す理由は
カウンセリングにおける〝対話〟が、
わたしたちが日常「コミュニケーション・会話」と呼んでいるものとは、かなり質の違うものだからです。

ですので、カウンセリングの対話を
外から見ているだけ、
そばで聞いているだけでは
ご相談者とカウンセラーとの間に何が生まれているのか、理解することは難しくなります。


対話的出会いの中で

そのような〝対話的関係〟から生まれる
カウンセリングの世界を
バフチン (ロシアの文芸評論家)にならって
このように表現することができそうです。

ミハイル・バフチン 1895-1975
それは、二つの意識が対話的に出会う一点で演奏される〝生きた出来事〟である。

「二つの意識」による「演奏」。
つまり、奏で合う一回限りのアンサンブルであるもの。


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