
カウンセリングを通して見えるもの
| はじめに |
変わるとは、実はほんの少しだけ変わることなんです。
ほんの少し変わるだけで、いろいろなことが変化してゆくのです。
上野千鶴子 社会学者
次のような訴えを
お聞きすることがあります。
自分を変えたくて、自己啓発やメンタル関係の本を読んだり、ネットを参考にしたりして自分でやって来たけど、行き詰まってしまった。
ここでは〝変わる〟ということの姿を、
実際のカウンセリングを通して
見つめてみたいと思っています。

それというのも、
〝変わる〟ことの姿を見つめた時に
「机上の理屈」で語られているものと、
わたしがカウンセリングという
実際の経験から得られるものとでは、
ずいぶんと違う印象があるからです。

| ご相談者に教えられて |
カウンセンリグを行なうようになって
間もなくの頃のことです。
ある女性のご相談者が
こんな話をされた時があります。
その方とは
二年くらい面談を続けてきて、
その最後の頃です。
自分が変わる時には、きっと厚い雲を突き抜けて、目の前にパッと青い空が広がるような、解放されるような感じになるんだろうなって、カウンセンリグを始める前には考えていたけど、そういうものではないんだなって、思うようになりました。
とても楽になった感じがあります。
でもこんな楽でいいのかなって、まだ思うときがあるんです。
そのお話が、
いまも強く残っています。
その後にも、ご相談の中身や
面談を続けてきた期間は違っても
幾人かの方から
やはり同じような内容の述懐を、
お聞きする機会がありました。
そこでわたしは、
わたし自身が感じて来たことを併せて、
次のように
お伝えするようになりました。
変わるっていうのは、たとえて云えば、〝当たり前〟になることなんですね。
たとえて云えば、
当たり前になること・・・ 。
それは、わたしが
ご相談者の方たちから
教えていただいたことでもあります。
| ひとつの旅の様に |
もちろん、
そのカウンセリングのプロセスには
それぞれに
ひとつの旅にも似た道行きがあります。
たとえば
「青森」まで行くとして、
秋田や盛岡から出発する方もいれば、
横浜や新潟、長野から出発する方も
いらっしゃるかも知れません。
それぞれに、ひとつの旅があります。

こうしたお話をしたところ、
最初に聞かされなくて良かった。
と云われたことがあります。
最初の頃に聞いていたら、〝当たり前になるなんて、それだけは嫌だから、これまで頑張ってきたのに〟って思ったと思う。

| 自然に変わってゆく |
カール・ロジャースの
『クライアント中心療法』という本を
読んでいた時です。
カール・ロジャースは、
カウンセリングの世界では
神様的な存在の人です。
その本の中に、
上で記したことと
ちょうど同じようなことが
語られている個所を発見し、
少し驚いた経験をしました。
それは
ロジャースが論じた部分ではありません。
三十代後半のクライエントの女性が、
カウンセリング終結の三ヶ月後に
自らのカウンセンリグ体験を
振り返って書いた文章の中に
発見したものです。
面談は、計8回をもって終えています。
彼女はこう書いています。
多少落胆していたのは、改善への兆しが自分では見えてこなかったことです。
わたしは、変わるというのは「ああそうか !! 」の連続で、心に刻み込まれるようなものだと、期待していたのです。
そのため、まったく自然な形で自分に生じていた変化を、最近まで気づかずにいました。
余りお喋りではなくなって、とても楽になり、大勢の中で目立とうとする傾向もなくなりました。そんなふうに変わってきたことを、ちょっぴり寂しく感じられるくらいです。
自分がこんなにも変わりつつあることに突然気づき、とてもいい気分でした。
そして以前までのように自分のことを過度に意識することなく、人に対して関心を向けられるようになりました。
面談は8回で終わっていますが
彼女も途中で
ひどい風邪にかかったりして、
〝旅〟をしていたことが分かります。
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