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人間関係の悩み・対人関係での問題
| はじめに |
「人間関係での悩み」というものを
考えるときに
こんな言葉があります。
わたしたちは、
自分と折り合いをつけられる程度でしか
他人と折り合いをつけられない。
たとえばカウンセリングのご相談には
大きな意味で捉えた時に
「自分自身について」というものと
「人間関係・他者との関係」という
二つのテーマがあるようです。
そして、この二つのテーマは
もしかすると
何処かで、根っ子のつながったところが
あるのかも知れません。
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二つの関係がある
わたしたちは、
自分と折り合いをつけられる程度でしか
他人と折り合いをつけられない。
これはフランスの著名な詩人
ポール・ヴァレリーの言葉です。
(1871年〜1945年)
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わたしたちには、
「他者と自分との関係」
というだけではなく
「自分と自分自身との関係」
というものが存在するのです。
そういう意味で云うと
「人間関係の悩み」の根っ子には
「自分と自分自身との関係」というものが
何かで・どこかで
関わっている事があるかも知れません。
そう考えてみると、何か大切な糸口が
少しずつ見えてくる気がします。
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| 照らしあう関係 |
自分自身との関係のあり方
・・・というものと
人との関係のあり方
・・・というものとが
向かい合わせの鏡のように
お互いに照し合っている世界。
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
高村光太郎 『牛』
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こうしたことを書いているわたし自身、
今はそれなりの歳になってしまったので
神経が多少太くはなりましたが
(図々しく)
若い頃は
人との距離が上手くとれなかったり
人付き合いに悩むことが
多かった気がします。
それは、言葉を換えると
「自分が自分を扱いかねていた」
とも云えるかも知れません。
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少しだけ変わる
「他人は変えられない」とは
よく云われる言葉です。
まるで
「水戸黄門の印籠(いんろう)」のようで
それを聞かされると
「ははぁ〜、
ごもっともで御座ります」
と頭を下げなくてはなりません。
変わるとは、実はほんの少し変わることなんです。
そして、ほんの少し変わるだけで、いろいろなことが変化していくのです。
上野千鶴子・社会学者
「自分を変える」のではありません。
「自分自身との関係」が
少しだけ変わってゆく・・・
そう考えてみるとどうでしょう。
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自分と付き合っていく
わたしたちは、生きている限り
自分自身と付き合いながら
生きてゆくことになります。
ですので、出来れば
より良い付き合い方を
して行きたい(生きたい)ですね。
「こうすれば人間関係で悩まない」
「これで二度と人間関係で悩まない」
などという特効薬は
ないかも知れません。
でも、そうした
少々現実離れした「特効薬」ではなく
少しずつ、ちょっとずつ、
前の自分より
折り合いをつけられる自分になってゆく。
自分を大切にしながら、
それと共に
折り合いをつけられる幅が
少しずつ広がってゆく・・・
それが、わたしたちに与えられた
テーマかも知れません。
カウンセリングをしていると
「自分を一番誤解していたのが
実は自分自身だった」
ということは案外多いものです。
わたしたちは、
自分と折り合いをつけられる程度でしか
他人と折り合いをつけられない。
カテゴリー【こころの物語】