〝懐メロ〟になってゆくもの

臨床のはなし

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ケースカンファレンスでの出来事

Image for decoration(秋の落ち葉の集まり)

臨床歴は何年ですか

神田橋條治じょうじ先生がスーパーバイザーをおこなう、
臨床家を対象とした事例検討会でのことです。

ケースの提出者は五十代の男性。

教育相談の場で働いていて、
相談やカウンセリングを長年担当している、と語ります。

すると神田橋先生は、その男性に
(カウンセリングを)やるようになって何年になりますか?
そう尋ねました。

臨床歴は何年になりますか?
という意味です。

神田橋先生の臨床歴は
その時には五十年近くになっています。

神田橋條治の顔写真

男性の返事を聞いて、こう続けました。

臨床歴が十五年以上になれば
世間でいわゆる臨床心理の理論と云われているものが、
だんだん懐メロのようになってくる筈なんだけど、あなたはどうですか?

神田橋先生は、そう問われました。

Image for decoration(花の絵)

懐メロに代わるもの

男性がよく分からずにいる様子を見て
こう続けました。

懐メロっていうのは
「そういえば昔は自分も、そういう本を読んで覚えたことを、人に云っていたなぁ」とか。「昔はよく使ったりしてたなぁ」とか。
そんなふうになって行くものなんだけど、あなたはどうですか?

カウンセリングを十五年も打ち込んで来れば「人間なんてもんは、理屈通り・理論通りになんか、ちっとも行きやせん !」ということを、思い知っていく。
世間で理論として流通しているものを読んでいても、「そんなもんじゃ、ないんだけどなあ・・・」という思いが出てくるようになる。

だから、いわゆる理論と云われているものは、
懐メロのようになって行くし、なって行く筈なんだ。
それに代わって、なんて云うか広い意味での〝人間知〟だとか〝臨床の知〟というものが、より深くなっていく。

臨床歴十五年を過ぎた人であれば、それを目指さなくてはね。

神田橋先生のこの言葉が
今も心に残っています。

Image for decoration(緑色の傘)

土居 健郎 精神科医・精神分析
臨床家が心すべきことは、クライエントとよい関係を持とうとすることではなく、クライエントを理解しようとすることである。
もちろん、人の心は容易にわかるものではない。そのため、何か専門的な概念を持ってきて、それでもってクライエントの言動を分かったつもり、になることが行なわれる。

典型的な例が、精神分析の概念や用語を借りてきて、それでもってわかったつもりになることである。
その他にも、心理学や精神医学などの種々の概念や用語が、このような目的に乱用されることがきわめて多い。

ところで、このような浅薄せんぱくな行為は、クライエントを理解するということとは、まったく無縁なことである。

浅薄(せんぱく)とは
うすっぺらくて浅はかなことの意味。

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