ここでは、大人の『甘え行動』について
説明しています。
ここで触れる大人の『甘え行動』は
主として二者関係の中で
反復されるものを云います。
* 二者関係とは
心の距離がとても近しい相手。あるいは互いの関係を云います。別名、あなたとわたし関係、とも云います。
具体的には夫婦関係や恋人関係ですが、それに限らない場合もあります。
大人の甘え行動とは
養育者(多くは母親)との関係の中で
甘えたいけれど甘えられない時
幼い子どもたちは
どのような行動をとるでしょう・・・。
養育者との関係の中で
甘えたいけれど甘えられない時
幼い子どもは
強い〝情緒的葛藤状態〟に置かれます。
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葛藤に苦しむとき
このような強い情緒的葛藤状態の中で
子どもたちがとる行動には
幾つかの行動パターンがあります。
それを『甘えのパターン』と名付けます。
そして実をいうと、わたしたちは
幼い頃に身に付けた
この『甘えのパターン』を
生涯にわたって
繰り返してゆくことになるのです。
三歳頃までに
もちろん自分自身では
そのような自覚的意識はありません。
一旦、身につけてしまったものは
無意識化されるからです。
たとえば、自転車を乗ることと
よく似ているかも知れません。
一旦乗りこなせるようになった瞬間から
自転車に乗るための身体的手技は
脳の〝小脳〟という部分に記憶がされ
いつ・いかなる時にも
何も意識的に考えることなく
すぐさま呼び戻されて
再現することになります。
このような『甘えのパターン』を
わたしたちは、多くの場合
三歳頃までには身に付けます。
心性(しんせい)は変わらない
そして、大きくなるにしたがって
『甘えのパターン』の表出は変形していきます。
考えてみれば当然ですが
四歳の子供と三十歳・四十歳の大人では
『拗ねる』という言動が
まったく同じである筈がありません。
四歳の子供がとる拗ねる行動と
四十歳の大人がとる行動とが、まったく同じであったら
それは非常に奇異なものとして
我々の目に映るでしょう。
ですので表現される行動は
大人バージョンへと変化していきます。
しかし、心性は変わりません。
* 心性(しんせい)とは
そこに存在する心の中身。
ですので大人バージョンになると
他者からは
それが『甘え』を意味することだとは、見えずらくなります。
・・・と云うか
本人自身にもその自覚的意識がないため
他者からは、分かりません。
たとえば
カウンセリングでお話を伺っていると
「怒っている」と、受け取られているケースを、しばしば拝見します。
そう受け取るのは無理もありませんが
そうではなく、甘えているのです。
「それは甘えなんです」
「甘えているんです」そう申し上げると
皆さんビックリされます。
〝甘え〟の持つ意味とは
幼児の視点で見たとき
幼い子どもというのは
養育者との関係・養育者の行動に
〝自分の生存〟が関わっているという
生物的な条件に置かれています。
幼児は動物の本能で
そのことをよく認知しています。
関係を俯瞰して見れる大人の立場からではなく、そうした条件に置かれた生き物の立場から見たとき
養育者に〝甘える〟という行為
そして
それに対する養育者の反応は
ある種の切実さを伴った意味合いを持つことは、容易に想像されることでしょう。
三歳から四歳以降
三歳あるいは四歳以降では
上に記したような本能的認知は
次第に薄くなっていきます。
しかし、その痕跡の幾つかは
わたしたちの脳裏(無意識)に
深く刻まれたものとして存在し続けます。
その痕跡のひとつが
ここで記している
『甘えのパターン』というものです。
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