
「内因性うつ病(メランコリー型うつ病)」について
これまでの精神医学では、
うつ病の中でも
脳の内的な要因が強いと考えられる病像を
『内因(ないいん)性うつ病』と呼んでいました。
現在では、それを
『メランコリー型うつ病』という分類名で呼ぶことがあります。
本項は
「診断」を目的とする記事ではありません。
『内因性うつ病(メランコリー型うつ病)』に特有とされる症状や状態像を
精神面を中心に、
著名な精神科医の言葉を引用しながら
記(しる)しています。
内因性うつ病(メランコリー型)とは
自律神経症状を伴いながら
- 希死念慮 (きしねんりょ)
- 生気悲哀 (せいきひあい)
- 思考と行動の抑制 (よくせい)
- 自責 (じせき)観念
あるいは、罪業(ざいごう)妄想
などが現れてきます。
ただし、これらの症状が
すべて同じように現れるわけではなく、個人差があります。
うつ(鬱)と「うつ病」の違いについては
こちらの記事で解説しています。

内因性うつ病という用語は
現代の診断基準(DSM-5, ICD-11)では用いられていませんが、
臨床家や精神科医の間では、
この概念と用語は依然として重要なものと理解されています。
濱田秀伯
メランコリー(独語・Melancholie)は、デプレッション(depression)が広く使われるようになる前の内因性うつ病の旧名である。
内因性うつ病の「徴候」とは : 鑑別診断で重要な他覚症状
内因性うつ病(メランコリー型うつ病)を適切に診断するには、
患者さんが訴える自覚症状だけでなく、
外に表れ出ている「徴候(他覚症状)」を、客観的に捉えることが重要と言われます。
精神科医が捉える具体的な徴候
中安信夫(なかやす のぶお)氏が
内因性うつ病の徴候について語ります。
(うつ病についての議論を聞いて)
「顔見りゃみわかるじゃないか!」というものであり、この点は、一緒に聞いていた同僚もまったく同じで、二人の口から同じ言葉が出た。
- 緩慢(かんまん)な動作や挙動。
- うつむきがちで萎縮(いしゅく)した姿や雰囲気。
- 苦渋(くじゅう)を呑み込んだような、同時に生気を失った表情。
- 質問に対する即答性に欠け、
返答までに間があいて、途切れがちな話し方。- ゆっくりした抑揚(よくよう)に乏しい小声など。
こうした表出の観察なくしては、
うつ病の鑑別(かんべつ)診断はできない。
中安信夫 精神科医・精神病理学
「表出」と言って
一つひとつ挙げているが
内因性うつ病(メランコリー型)の「徴候(ちょうこう)」になります。

「徴候」と「自覚症状」の違い
「症状」には、自覚症状と徴候という二つの種類があります。
診断治療には、どちらも不可欠なものです。
自覚症状とは、
本人自身が感じ訴える症状です。
たんに「症状」という時には、慣習的に
自覚症状を指していることが、多いかも知れません。
徴候とは、
他者(医師など)が
本人が外に表しているもの(様子や雰囲気、表情や言動)を捉えて、判断するものです。
徴候のことを「他覚症状」とも言います。
他者が感じるとる症状という意味です。
伝統的な精神医学の三分類 : 内因性うつ病の理解のために
内因性うつ病を理解するには
精神医学における伝統的な三分類を知ることが大切です。
伝統的な精神医学では昔から
様々な病態について
その病態の元にある発病要因を
『内因性・外因性・心因性』という
三つの領域に捉えてきました。
木村敏による三分類の解説
著名な精神科医の故・木村敏(びん)氏が、
一般の人にもわかりやすく
三分類を解説しています。
精神医学では以前から、内因性・外因性・心因性の三つの原因領域を、区別して考えていました。
心因性の疾患とは
心因性とは、心理的な要因が元になって生じた病態について云われる言葉です。
最近問題になっているPTSD(心的外傷後ストレス障害)だとか解離性障害。これらなんかは複雑なものですが、やはりこれも心因性です。
それから昔から神経症と云われてきた病像。これらも「心因性」のカテゴリーに入ります。
というよりもむしろ、そういった神経症性のものこそ、心因性の病態の代表的なものなのです。外因性とは
外因性というのは「器質性」というものと、だいたい同じ意味です。
外因の外とは、心の外つまり身体のことを意味しています。
身体あるいは脳に、具体的に確認できるような形で生じている疾患や病変によって、二次的に精神症状や精神疾患を引き起しているものを指します。内因性の疾患とは
そして、こうした心因性、外因性を除いたものを「内因性の精神疾患」と呼んできました。
精神医学の中心的な病気。
つまり統合失調症、本格的なうつ病(内因性うつ病)、躁うつ病、パラノイアと呼ばれる妄想病、いわゆる非定型精神病などは、すべて「内因性」に分類されています。精神医学という専門領域が、内科学から分離して存在している理由。
単なる心療内科ではない精神科というものの存在意味。それが内因性の疾患なのです。
木村 敏 精神科医・精神病理学
「内因性」とは、
イコール遺伝性という意味ではありません。
「病の本質」として、
心因性や外因性では説明できないもの
という意味になります。
内因性うつ病の病像 : 抑制・生気悲哀・自責観念
ここでは、
内因性うつ病(メランコリー型うつ病)に特有な、症状や状態像について触れています。
「抑制」と自律神経の不調和
内因性うつ病特有の状態像に
抑制 (よくせい)と呼ばれるものがあります。
内因性うつ病が深くなるに従って、重症化していきます。
中井久夫氏が語ります。
うつ病のうつ状態では、まず抑制が特徴である。
動作はのろくなり、口数も少なくなる。
「口が重い」「重苦しい動き」という印象である。ひどいときは、這っている虫を見ても「いっしょうけんめい働いている、オレよりエライ」と感心する。
思考・行動だけにとどまらない。
たとえば感情も抑止され、重症の時には、そもそも喜怒哀楽が湧かない、涙も出てこない。表情も抑制される。
とくに決断がつかなくなる。
重症になると、階段の途中で、上に行くか降りるべきかで決められなくて、階段の途中で立ち往生したりする。また抑制は自律神経や身体にも及び、唾も出なくなり、口がかわく、便秘となり、食欲もなくなる。
食べていても味が分からなくなり「ただ口に入れています」という。
うつ病は心身にわたる病気である。
中井久夫 精神科医

自律神経系の症状として・・・
- 突発性の発汗。
- 急な〝のぼせ〟と冷え。
- 口の渇き。便秘。
- 味覚・臭覚の低下。
・・・などが顕著になります。
うつ病というのは自律神経系の不調和が、ほとんど必発であらわれます。
たとえば
手に汗かく患者さんがいたら、「これ足の裏まで汗かくと重症なんだけど、足の裏はどうですか 」って聞くんです。
「靴下が濡れます」とか患者さんが云ったら、「そうか、だいぶ進んでいるよ」というふうにして、ひとつずつやっていくんです。
神田橋條治(じょうじ)精神科医

中井久夫氏が
次のような事例を語っています。
三十歳の主婦であった。
産後うつ病と診断され他で治療を受けていたが、二年間も改善せずに自殺を図ったため、近親者が連れてきた。
問診で意外に思ったことは、まず涙もろいことであった。さらに私は二十分ほどの面接の間に彼女の気分をほぐして、笑わせるところまできた。
こういうことはうつ病ではまずない。
うつ病だとしたら、随分よくなっていることになる。
中井久夫 精神科医
誤った診断を防ぐ意味からも、
きちんとした鑑別診断が大切になります。
生気悲哀と心身の苦しさ
内因性うつ病(メランコリー型)の症状のひとつに、
「生気悲哀」という症状群があります。
たとえば
「 腸のあたりに鈍い感覚がある。
腸が詰まっているようで苦しい」
「 吐き気がして、胸がどきどきして手が震え、身体が圧迫されている感覚」
・・・こうした訴えとして現れます。
生気悲哀の症状は、
内因性うつ病の精神症状が極期に至らない発病初期だとか、
比較的軽症で顕在化する、と指摘されています。
生気悲哀には
さまざまな訴えがみられます。
- 後頭部が重くモヤモヤして、スッキリしない。
- 胸の奥に水が溜まっているみたいで、苦しい。
- 頭が痺れ、眼がこわばって同僚と視線を合わせられない。
- 体が圧迫されて締め付けられる不快感。
生気悲哀は、直接的には
身体症状として訴えられますが
それは単なる身体の症状ではありません。
内因性うつ病を六度にわたって経験した
精神科医の田中恒孝(つねたか)氏は
生気悲哀について・・・
うつ病発症の初期に体験した最も辛い症状のひとつは、心と身体が渾然一体となった苦痛と抑うつ気分であり・・・
・・・と語っています。
田中恒孝 精神科医
六度の発病に共通して現れていた生気悲哀のひとつである「顔面のこわばり」感覚は、自分自身では実際に顔が歪んで醜くなっており、周囲の人々に悪感情を与えていると感じて、顔を伏せ、他人の視線を避ける不自然な姿をしていました。
生気悲哀と仮面うつ病の関係
内因性うつ病では
「仮面うつ病」が問題にされます。
生気悲哀による身体的な訴えが表に出て、
精神的な症状が後ろに隠れているものを
『仮面うつ病』と呼んでいます。
(田中恒孝・精神科医による)
ですので、仮面うつ病を理解するには
生気悲哀を知っておく必要があると、考えられます。
生気悲哀の訴えが
心気(しんき)症という神経症の症状として扱われてしまい、
本来のうつ病としての治療が、遅れることがあるからです。
心気症とは、
自分は何かの重い病気に侵されている
・・・という不安に
強く囚われ続けるものです。
内因性うつ病における
自責観念と希死念慮
これまで記した病像から考えて
当然ではありますが、
思考の面では
厭世的・悲観的な観念や妄想が
つよく頭を占めてゆくようになります。
「観念」と「妄想」の状態の違い
「観念」という場合には
たとえば、「オレはダメな人間だ」
という悲観的な考えで自分を責める一方で、
「でも、オレだって自分なりに頑張ってきたつもりだ」という考えも、並立し得る状態のことです。
「妄想」とは、
「オレはダメな人間だ」という考え一色だけが、すべての思考を支配する状態です。
内因性うつ病の場合には、
生きてゆく内的な「支え・よりどころ」としての〝何か〟が、失われてゆく心境の中で、
厭世観に沈んでゆきます。
自分を責め、自分の不甲斐なさを責め。
自分が行なった何かの行為に対して、
「大変な失敗を犯した」
「大変な迷惑をかけてしまった」という自責の念に囚われて、
「とり返しのつかないことをした」という妄想に
苛まれていきます。

希死念慮(きし・ねんりょ)については
中安信夫が注意を促しています。
中安信夫 精神科医
(内因性うつ病の診断を間違えてならないのは) うつ病はどんなに軽症であっても、また初期であっても、希死念慮が必発であり、稀ならず自殺企図が生じるからである。
内因性うつ病を経験した田中恒孝氏は、
「精神科医の推測ではなく、当事者が自らの自殺企図体験を振り返り、文章化しておくことが大切」と考えて、
このように記しています。
意識は悲観的な思考一色に塗りつぶされて、苦痛な妄想思考に苛まれていました。
多くの教科書には、自殺を示すような何らかの〝ほのめかし〟だったり、救いを求めるサインがあると、記載されています。
しかし筆者は、そのような言動は一度もしていません。筆者のような内因性うつ病の患者であれば、自殺をほのめかして、周囲の人を巻き込むような言動はとらないでしょう。
筆者を例にとると、希死念慮は存在していましたが、真剣に決断するには至っていませんでした。
しかし遺書を書く段階では決断しており、事前に家族に気づかれないために、決行の場所や時間を見定めていました。
うつ病からくる「妄想の責め苦」に負けて、死を恐れる気持ちは皆無だったように思います。
自殺をおこなう直前には、うつ病からくる耐え難い辛さや苦しさから解放され、「ようやく罪ほろぼしができる」と、ほっとした心の安寧(あんねい)や安堵感が湧き上がっていました。
うつ病の自殺は、初期や回復期の軽くなった時に起きやすい、と言われてきました。
しかし、筆者の場合には、明らかにうつ病の極期に行なっています。(安寧とは、心おだやか、やすらぎを感じる状態)
田中恒孝 精神科医
内因性うつ病からくる自責観念だとか、
「取り返しのつかないことを犯してしまった」という妄想の苦しさが、
とても伝わってくる文章です。
奥さんのメモから
ちなみに
田中恒孝氏の奥さんのメモには
ご主人の様子が書き留められています。
気分が悪そうにしていて無口で元気がない。
昨日は一睡もできなかったと云っている。
アルツハイマーになってしまったと云い、落ち着かない様子で部屋の中を歩き回る。
「病院中が僕の認知症を知っている」「間違いが多く迷惑をかけている」など、悲観的な訴えが急に増える。
早朝五時頃に起き出してきて、両腕を突き出し、警察へ出頭して自首しなくてはならないと云い出す。患者さんを死なせてしまったといって、不安そうで落ち着かない。
気分転換を兼ねてお蕎麦を食べに出かけるが、車の中で蒼い顔をして顔面を伏せている。ほとんど無口で外の景色にも興味を示さない。
内因性うつ病の治療と回復の道筋: 休息、服薬、そして再発予防
病から回復してゆくことを
山頂から下ってゆくこと
「下山」にたとえているのが、精神科医の中井久夫氏です。
中井久夫
回復は登山でいうと、山を登るときでなく山をおりる時に似ています。
「闘病」という言葉は、どちらかというと山登りの方を連想させますが、そうではありません。
病は森の中に道を失って、孤独な登山の果てに到達するのです。
病が始まった時、患者はすでに山頂にいます。それもひとりでは下りられない山頂にいます。
登りに力を使い果たし、疲れ果てて、道は尽き、目標を見失って、当人にとっては四方が断崖の山頂にいるのです。
内因性うつ病の場合には
初期治療として「休息すること」が不可欠になります。
そして、
「本人が余計につらくなるから、頑張れなどの励ましは、やるべきでない」とされるわけです。
この場合の休息とは
脳を休めるために、身体を休めることです。
笠原 嘉 精神科医
うつ病の治療は薬物治療と休息療法という両輪からなる。わたしの経験では、休息を抜きにした薬物治療の効果には疑問がある。
神田橋條治 精神科医
僕はうつ病の患者さんに
「脳っていうのは、家で寝転んでいても休息せんからね」って言うんですよ。
「頭というのは、筋肉を休ませていても勝手に活動しているから、休息させるためには薬が要る場合があるよ」と言って、服薬してもらいます。
治療への入り方
内因性うつ病の場合、一般的には
3ヶ月から6ヶ月くらいが回復への目安であると、言われています。
見通しに関して、「十分回復するまで、3ヶ月から6ヶ月をみてください」というと、「え! そんなにかかるんですか」という反応が返ってくることが多いですね。
自分が同じように言われたら、やはりショックを受けるでしょうから、患者さんの気持ちはわかります。
原田誠一 精神科医
その上で、
臨床家・治療者として知られた神田橋氏が
このように語っています。
わたしは患者さんに、 「服薬と休養で治るのが一般的だといわれ、私も通常はそうだと思うけど、いろいろ悪い条件があると、長引いてしまうことがあるんですよね」 と言います。
神田橋條治 精神科医
改善の進み方を理解しておく
内因性うつ病の回復は
いろいろな症状が、同時にそろって良くなっていくものではありません。
症状ごとに、改善の仕方には違いがあることが、言われています。
早く治りたいという焦りの裏返しで、
改善していないところばかり目がいって
悲観的な思いになってしまう患者さんは、多いことが言われています。
患者さんの焦りや、自己治療努力によって、時期尚早に活動を始めてしまって悪化する、ということがとても多いですね。
ですので、患者さんが自分で自分を追い込まないように、周りの人が追い込んでしまわないように、気を配っておくことが大切です。
原田誠一
人間の生体の複雑さは、
臨床に打ち込んでいる中で見えてきます。
どういう意味かというと、
内因性うつ病に限らず、
改善が自分の内側から起きた場合でも、
また外からの働きかけから起きても
かならず反作用が起きて
元に戻ろうとする動きがあることです。
ですから、
回復とは直線できなく
〝行ったり来たりしながら〟進んでいくもの・・・
そう理解することが大切です。
原田誠一氏も、次のように述べています。
ある程度回復したあとに、症状や状態に、一過性の揺り戻しが起きて、患者さんがこれを深刻に受けとめ過ぎて、いっそう悪化していくことがあります。
悲観のあまりに、自殺企図につながることもあるので、あらかじめ説明して、そういうことがある、ということを理解しておいていただく必要があります。
原田誠一
また、神田橋氏はこうも語っています。
治療とは治すことです。
抗うつ剤を出したら、これこれの症状が薄れた。しかし、その時もその後も薬は飲んでるまんま。それでは治療とは言えません。
「抗うつ薬は松葉杖ですから、それで改善しても偽りの回復ですよ」と、僕は患者さんに伝えています。
薬での回復は、仕事へ戻るためではなく、
うつ病から回復してゆくための生活の工夫や、ひいては再発の予防の工夫、すなわち生活や生き方を見直すためのもの、であることを強調します。
休養と服薬で回復することは大切ですが、
そればかりではなく、
「うつ病になる前の状態」に戻るのではないことが、
より大切なことかもしれません。
神田橋氏の言葉は
そのことを表しています。
今後の再発を防ぐ意味で、
病気や自分のことを考えていきたい、
・・・そうおっしゃって
カウンセリングにお越しの方たちも
いらっしゃいます。
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