内因性うつ病について (うつ病とはどういうものか)

心と身体

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〝うつ病〟の本来の名称は
内因ないいん性うつ病』と云います。

Image for decoration(三匹の蝶)

本項では
『内因性うつ病』に特有の症状や病像を
著名な精神科医の言葉を引用しながら
記(しる)しています。

うつ病は、自律神経症状を伴いながら
希死念慮 (きしねんりょ)・
抑制 (よくせい)・
生気悲哀 (せいきひあい)・
自責 (じせき)観念
などが、強く現れてきます。

内因性うつ病の徴候(ちょうこう)

 
 うつ病患者 1858年頃

徴候(ちょうこう)とは・・・
症状には、二つの種類があります。
ひとつは本人自身が感じ訴える「自覚症状」。
もうひとつは、本人以外の他者 (医師その他)が、本人が表出している雰囲気・様子や言動を捉えて判断するもの。こちらを「徴候」といいます。
どちらを欠いても適切な診断はできません。

中安信夫 精神科医
(診察時にみられる)
全般的に緩慢かんまんな動作や挙動。うつむきがちで萎縮いしゅくした姿や雰囲気。苦渋くじゅうを呑み込んだような、同時に生気を失った表情。
こちらからの質問に対する即答性に欠け、返答までに間があき、途切れがちな応答ぶり。ゆっくりした抑揚よくように乏しい小声など。
これらの表出は、内因性うつ病の診断には必須ひっすのものであって、こうした表出の観察なくしては、うつ病の鑑別かんべつ診断はできない。

内因性うつ病は、メランコリー( melamcholia )とも呼ばれています。

濱田はまだ秀伯ひでみち 精神科医
メランコリーは、デプレッション(depression)が広く使われるようになる前のうつ病の旧名である。

症状と徴候について
詳しくはこちらをご覧ください。

「症状」の捉え方について
症状と徴候の意味

再燃と再発の意味

一旦治ったうつ病が
6ヶ月以内にまた発病するときを「再燃さいねん」といいます。

治ったうつ病が、6ヶ月以上たってから再び発病するときは「再発」と呼んで、区別しています。


image for decoration(秋の風景)

内因性・外因性・心因性

上でも記したように
うつ病の本来の名称は
『内因性うつ病』と云います。

伝統的な精神医学では昔から
様々な病態について
その病態の元にある発病要因を

『内因性・外因がいいん性・心因しんいん性』という
三つの領域に捉えてきました。

著名な精神科医の木村敏氏が
次のように語っています。

木村 敏 精神科医・精神病理学
精神医学では以前から、内因性・外因性・心因性の三つの原因領域を、区別して考えていました。
心因性とは、心理的な要因が元になって生じた病態について云われる言葉です。
最近問題になっているPTSD(心的外傷後ストレス障害)だとか解離性障害。これらなんかは複雑なものですが、やはりこれも心因性です。
それから昔から神経症と云われてきた病像。これらも「心因性」のカテゴリーに入ります。
というよりもむしろ、そういった神経症性のものこそ、心因性の病態の代表的なものなのです。

外因性というのは「器質性」というものと、だいたい同じ意味です。
身体あるいは脳に、具体的に確認できるような形で生じている疾患や病変によって、二次的に精神症状や精神疾患を引き起しているものを指します。

そして、こうした心因性、外因性を除いたものを「内因性の精神疾患」と呼んできました。
精神医学の中心的な病気。
つまり統合失調症、本格的なうつ病(内因性うつ病)、躁うつ病、パラノイアと呼ばれる妄想病、いわゆる非定型精神病などは、すべて「内因性」に分類されています。

精神医学という専門領域が、内科学から分離して存在している理由。単なる心療内科ではない精神科というものの存在意味。それが内因性の疾患なのです。

ちなみに『心因』という言葉には
様々な誤解が付きまとっています

 

自律神経症状と抑制

うつ病の重要な状態像に
抑制 (よくせい)と呼ばれるものがあります。

中井久夫 精神科医
うつ病のうつ状態では、まず抑制が特徴である。
動作はのろくなり、口数も少なくなる。「口が重い」「重苦しい動き」という印象である。ひどいときは、這っている虫を見ても「いっしょうけんめい働いている、オレよりエライ」と感心する。

思考・行動だけにとどまらない。
たとえば感情も抑止され、そもそも喜怒哀楽が湧かない、涙も出てこない。表情も抑制される。

また抑制は自律神経や身体にも及び、つばも出なくなり、口がかわく、便秘となり、食欲もなくなる。食べていても味が分からなくなり「ただ口に入れています」という。
うつ病は心身にわたる病気である。

自律神経症状として
(突発性発汗・のぼせ・口の渇き・便秘 等)なども顕著になります。

上の説明にもあるように
抑制は感情や思考といった
意識の面にも現れます。

つまり
その人の生体全体に及ぶものです。

中井久夫 精神科医
三十歳の主婦であった。
産後うつ病と診断され他で治療を受けていたが、二年間改善せずに自殺を図ったため、近親者が転院させてきた。
診察で意外に思ったことは、まず涙もろいことであった。さらに私は二十分ほどの面接の間に彼女の気分をほぐして、笑わせるところまできた。
こういうことはうつ病ではまずない。

       image for decoration(百合の花)

生気悲哀せいきひあい

うつ病の状態像のひとつに
「生気悲哀」と呼ばれる症状群があります。

生気悲哀は、自覚症状的には身体症状として訴えられますが
単なる身体の症状ではなく・・・

うつ病発症の初期に体験した最も辛い症状のひとつは、心と身体が渾然一体となった苦痛と抑うつ気分であり
・・・というふうに、

内因性うつ病を、自ら六度にわたって経験した精神科医の田中恒孝氏が、
うつ病の生気悲哀について語っています。

田中恒考 精神科医
六度の発病に共通して現れていた生気悲哀の症状である「顔面のこわばり」感覚は、自分自身では実際に顔が歪んで醜くなっており、周囲の人々に悪感情を与えていると感じて、顔を伏せ他人の視線を避ける不自然な姿をしていました。

古茶(古茶大樹・精神科医)もまた生気悲哀について、内因性うつ病の患者さんは、身体が「だるい」「重い」「胸の圧迫感とかモヤモヤ感」。「お腹が気持ち悪い」「吐き気」といった、多種多様な身体的不快感として訴えることが多い、と云っています。

たとば
このような訴えが見られます。

眼がこわばって同僚と視線を合わせられない、後頭部が痛いというかモヤモヤして、スッキリしない。

腸のあたりに鈍い感覚がある。腸の動きがゆっくりで詰まっているような苦しさ。

胸の上に重石がのっていて、呼吸ができない感じ。

吐き気がして、胸がどきどきして手が震え、身体が圧迫されてる感覚。

田中恒考 精神科医
(生気悲哀は)不快な感情を伴った身体感覚であり、その基盤には自律神経症状がかかわっていることは、確かでありましょう。

心気しんき症とされる

生気悲哀の訴えが
心気症という神経症の症状として
扱われてしまうことが起きます。

心気しんき症とは、
自分は何かの重い病気に侵されている
・・・という不安に
強く囚われ続けるものです。

自責観念と希死念慮きしねんりょ

中安信夫 精神科医
(うつ病の診断を間違えてならないのは) うつ病はどんなに軽症であっても、また初期であっても、希死念慮が必発であり、稀ならず自殺企図が生じるからである。

これまで記した状態像から考えて
当然ではありますが

思考の面では
厭世的・悲観的な観念が
頭を占めてゆくようになります。

生きてゆく内的な「支え・よりどころ」としての〝何か〟が、失われてゆく心境の中で
徐々に、厭世観に沈んでゆくものです。

自分を責め、自分の不甲斐なさを責め。

自分が行なった何かの行為に対して
妄想的に「大変な失敗を犯した」「迷惑をかけてしまった」という自責の念に囚われて

後悔と「とり返しのつかない」心境に
さいなまれていったりします。

奥さんのメモから

ちなみに
田中恒孝氏の奥さんのメモには
ご主人の様子が書き留められています。

気分が悪そうにしていて無口で元気がない。
昨日は一睡もできなかったと云っている。
アルツハイマーになってしまったと云い、落ち着かない様子で部屋の中を歩き回る。
「病院中が僕の認知症を知っている」「間違いが多く迷惑をかけている」など、悲観的な訴えが急に増える。
早朝五時頃に起き出してきて、両腕を突き出し、警察へ出頭して自首しなくてはならないと云い出す。患者さんを死なせてしまったといって、不安そうで落ち着かない。
気分転換を兼ねてお蕎麦を食べに出かけるが、車の中で蒼い顔をして顔面を伏せている。ほとんど無口で外の景色にも興味を示さない。

Image for decoration(黄色の花)

薬の意味とカウンセリング

病から回復してゆく事を
山頂から下ってゆくこと
「下山」にたとえているのが、精神科医の中井久夫氏です。

中井久夫
回復は登山でいうと、山を登るときでなく山をおりる時に似ています。
「闘病」という言葉は、どちらかというと山登りの方を連想させますが、そうではありません。病は森の中に道を失って、孤独な登山の果てに到達するのです。
病が始まった時、患者はすでに山頂にいます。それもひとりでは下りられない山頂にいます。登りに力を使い果たし、疲れ果てて、道は尽き、目標を見失って、当人にとっては四方が断崖の山頂にいるのです。

内因性うつ病とは
これまでに記した病像の故に
初期治療として、本来であれば「休息すること」が不可欠になります。

そして、「本人が余計につらくなるから、頑張れなどの励ましは、やるべきでない」とされるわけです。

笠原 よみし 精神科医
うつ病の治療は薬物治療と休息療法という両輪からなる。わたしの経験では、休息を抜きにした薬物治療の効果には疑問がある。

そしてこの場合の休息とは

ただ仕事を休む・家で休んでいる
ということではなく
頭・脳を休ませる、ことを意味しています。

神田橋條治 精神科医
僕はうつ病の患者さんに
「脳っていうのは、寝転んでいても休息せんからね」って言うんですよ。
「あなたは、家でじっとして寝転んでいて、それで脳(頭)が休息しているような気がするでしょ? でも頭というのは、筋肉を休ませていても勝手に活動しているから、休息させるためには薬が要る場合があるよ」と言って、服薬してもらう。

また、神田橋氏はこうも語っています。

治療とは治すことです。
抗うつ剤を出したら、これこれの症状が薄れた。しかし、その時もその後も薬は飲んでいるまんま。そんなのは治療とは云いません。

「抗うつ薬は松葉杖ですから、それで改善しても偽りの回復ですよ」と、僕は患者さんに伝えています。

薬での回復は、仕事へ戻るためではなく、うつ病から回復してゆくための生活の工夫や、ひいては再発の予防の工夫、すなわち生活や生き方を見直すためのもの、であることを強調します。

今後の再発を防ぐ意味で
・・・とおっしゃって
カウンセリングにお越しの方たちも
いらっしゃいます。

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