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ひとり言(随想)

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吉原幸子写真

吉原 幸子『いる』

詩人 (1932年 - 2002年)

死んだネコについて書いたものを
ベットで読みかえしていると

ドアが小さくあいて
誰かが 入ってきた

足音は聞こえなかったから
風か

不思議なことに
メモが一枚 どうしても見当たらない

サイドテーブルのうら
椅子の足もと

おかしいわね 今しがたまであったのに

思いついて
ベットの下に手をさしこむ

すると あ!

わたしの指は
柔らかい毛ぶかいものに
たしかに さわったのだ

のぞきこむのは よそう

そこにいるのは あの子にきまっている

でも のぞいたら
スリッパのふりを するだろうから

青光りの瞳で 詩を読み終え
わたしの しおからい指を なめ終えたら

たましいよ
今夜は その暗がりで

おやすみ


ライン

高橋悠治(ビアニスト)

『1976年 プログラム・ノート』から

バッハの息子たちは、ドイツやイギリスの宮廷付音楽家になった。
バッハ自身は最後には教会の楽長で終わった。イタリアやフランスのあたらしい音楽を知りながら、複雑な対位法や和声の技術をすてきれなかったのだ。

旧文化が没落し、新文化の野蛮な力がまだ完成しない時期に、その矛盾を一身にあつめて異常な透視力を形成する幸運を持った芸術家だ。
バッハの音楽は、2世紀以上たった今も、その有効性を失っていない。

この透視力は、孤独を代価とした。
晩年のバッハは、教会カンタータを書き飛ばす職務のかたわら、だれも見たことのない抽象の世界に閉じこもっていった。
1742年のゴルドベルグ変奏曲
1747年の音楽の捧げ物
1749年のフーガの技法。


ライン

沢田 知可子

作詞『いのちの色』から
    沢田 知可子写真

いまはもう涙を拭いて
この山越えて 自分色

この自由な空のように
生まれ変わる わたしの色

だからもう涙を拭いて
あなたの色を信じて

この空に愛されながら
育てよう あなたの色



水村美苗 『日本語が亡びるとき』
筑摩書房

認識というものは、しばしば途方もなく遅れて訪れる。

きっかけとなった出来事や、会話、あるいは光景などから、何日、あるいは何年・・・場合によっては何十年もたってから、ようやく人の心を訪れる。

人には知らないうちに植えつけられた思いこみ、というものがあり、それが〝真実〟を見るのを、拒むからである。

たとえ〝真実〟を垣間見る機会を与えられても、思いこみによって見えない。
しかも、なかなかその思いこみを捨てられない。

〝真実〟というものは、時が熟し、その思いこみをようやく捨てることができた時、はじめてその姿・・・

〝真実〟のみが持ちうる、単純で、無理も矛盾もない、美しくもあれば冷酷でもある、その姿を現すのである。

そして、そのとき人は、自分がほんとうは常にその〝真実〟を知っていたことさえも、知るのである。

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