養老孟司さんのケース

「心のパターン」のお話

養老孟司先生をご存じでしょうか。



講談社新書の「バカの壁」が
ベストセラーになった平成15年。

養老氏を取り上げた番組が
教育テレビで放送されました。

その番組の中で、

幼い頃に身に付けた
「心のパターン」と呼べるエピソードが
語られていました。

とても印象的なお話でしたので、
ここに収録させていただきます。



 父親の死

養老さんは三人兄弟の末っ子として
鎌倉に生まれ育ちました。
四歳の時に父親を亡くしています。

お父さんは商社に勤める会社員でしたが、
二十代後半から肺結核を病んで
自宅で療養する生活を送っていました。

幼かった養老さんの父親の記憶は、
ベットに辛そうに寝ている時にも

いつもニコニコ笑いながら
遊んでくれた
お父さんの姿だと云います。

お父さんは昭和17年に亡くなり、
養老さんも臨終に立ち会いました。

親戚の人から、
「お父さんに挨拶をしなさい」
と云われましたが

四歳の養老さんは何故か
「さよなら」と言えませんでした。


 挨拶のできない少年

養老さんは内気な少年になっていました。

特に、人に挨拶をするのが苦手で、
近所の人に会ってさえ
挨拶が出来なかった、と云います。

現在でもそうですが、
更に何十年も前の時代です。

人に会っても挨拶もしない少年が
周囲の人たちからどう思われていたか、
想像できそうです。

事実、親戚中から
変わり者扱いされていたそうです。

人に挨拶をするのが苦痛で苦手
というのは、
その後もずっと続きました。


 地下鉄での出来事

養老さんが、すでに
四十代半ばになっていた頃のこと。

地下鉄に乗っていて不意に、

自分があんなに人に挨拶をするのが
 苦手だったことと、父の死とは関係が
 あるんじゃないだろうか

と思った瞬間、

涙が次から次に溢れて
止まらなくなったそうです。


養老さんは、こう語っています。

人に挨拶をすることと、
死んでいく父親に挨拶していない事とが
重なり合っていたんですね。

つまり、さよならを言わない限り、
父は自分の中に
生き続けている事になるわけです。

挨拶をやり終えていないわけですね。
挨拶をし終っていない。

まだやり残していることがあって、
その間は、
父は私の中では
死んではいないことになる。

それが、
私が人に挨拶をすることが出来ずに
苦手だったことと、
つながっていたんだと思います

父に挨拶をし終っていないんだから、
他人に挨拶なんかできっこない。

挨拶をしてしまうと
父が本当に死んでしまう
・・・遠くに行ってしまうから。

でも、こうした気持ちや感情は

頭の中で一瞬の無意識のうちに
作られてしまうことなんですね。

だから本人にも分からないのです。

私も四十代の頃は、ただ
父の死と何か関係があるかも知れない、
と気づいただけで

ここまで思い至ったのは
五十歳を過ぎてからです。

長生きすると、
少しはいいことがあるものですね。

死とは理不尽なものですよね。

「あいつ死んじゃったよ」
「そうか」で、済むような関係であれば
それでいいでしょうが、

親子ではそれで済むわけがない。

まして子どもがまだ小さければ
理不尽そのもので。

いま起きていることが
どういう事かも分からないまま

突然親の死に直面させられるわけです。

私だけでなく、
こうして話しをしている今この時も、

同じ経験をしている子ども達が
いるのです。




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