強迫症・強迫神経症


強迫症についてお伝えしています。

| はじめに |

神経症(しんけいしょう)の症状は
「人の数だけ存在する」とも云われほど
さまざまな表れがあります。

精神的・心理的なものとして現れるもの。
身体に現れる症状。

そして、行動・行為として現れるものまで
様々な症状がみられます。

そうした中でも、
強迫(きょうはく)症さとれる症状群は
ある意味で、神経症というものの純粋系
・・・として考えられれています。

強迫症の成り立ち

強迫症と
それに基づく強迫神経症は
強迫観念」と
強迫行為」とで
成り立っている症状群です。

強迫観念(頭で考えているだけ)
というケースもあれば

強迫観念が具体的な行動・行為
(強迫行為)として現れ出る場合もあります。

| 強迫観念とは・・・ |

強迫観念というのは

強迫(非常に強く囚われ続ける)
観念(何かに対する意識・思考)のことです。

なんらかの強い観念(思いや意識)
頭と心が、ひどく囚われた状態で
それに意識が向かうことを
やめられない状態です。

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例えば、このような強迫症状もあります。

神社やお寺はもちろん
どんな小さな祠(ほこら)でも
前を通る時には、必ず頭を下げて一礼しなければ、罰や不幸が訪れる

・・・そうした強迫観念に
苦しめられるケースがあります。

         

| 強迫行為とは・・・ |

強迫観念が頭の中だけでなく
具体的な行為・行動として現れたものです。

強迫行為がひどくなると
生活に支障が生じてきます。

不潔恐怖(強迫観念)がもっとも多いのではないだろうか。その手段は手洗いであるが、神経症の治療が必要になる場合には、いくら洗っても「絶対にバイキンがない保証はない」から、この強迫行為は疲れ果てるまでやまない。
中井久夫 精神科医

主婦のケースでは、
外から帰って来た家族を、そのままでは不潔だから(強迫観念)と、玄関で着ている物を全部着替えさせてからでないと、中へ入れさせない(強迫行為)。

そうした強迫症があります。

そこまでではなくても、
それと似たお話を
ご家族の方からお聞きする機会があります。

| 確認強迫 |

「確認強迫」という症状も
不潔強迫と同様によく知られています。

仕事の場では「間違いがなかったか」と
ひどく不安になって
何度も同じところを確認し続けるため、仕事が進まなくなります。

ガス漏れ恐怖でも、何度ガス栓を閉めても「絶対に閉まってる」という保証はないから、延々とガス栓をひねることになる。
中井久夫 精神科医

人間と神経症

このように記してくると、
強迫症・強迫神経症というものが
なにか特異な病態のように
思われてしまうかも知れません。

しかし強迫症的なもの、と考える
日常の中にたくさん潜んでいます。

人間と神経症とは、昔から
切っても切れない関係にあります。

たとえば、
フロイトが創始した精神分析療法は
元々は神経症の患者さんの治療として
考え出されたものです。

日本独自の療法である森田療法も、
「森田神経症」の患者さんの治療として
森田正馬(まさたけ)が創り出しました。

精神分析療法や森田療法は
ひとつの例ですが

このように、
心理療法(カウンセリング)は
神経症の治療として
築き上げられて来た歴史があります。

それだけ、人間と神経症とは
深い関係にあります。

動物園の動物にも強迫行動が見られることは
よく知られています。
本来の生活環境から切り離されて
神経症状態になっているのです。



ごく軽度な神経症症状ということでは、

トイレの扉の取手を素手で握れない。
あるいは、
電車の吊り革を素手でつかめない、

・・・という人たちは
意外に多いものです。

たとえば、
カギを閉めたかどうか不安になって
何度も確認に戻ってしまう。

ガスや火の元を何回も確認する。

それに類する行為は、
一時的であれば
誰もが経験しているはずです。

このように、
神経症的症状とされるものの多くが、
一過性で、ごく軽度な程度であれば、

ほとんどの人たちが
しばしば経験しているものです。

「自分にはない」としたら、
ただ覚えていないだけです。

それらは、
むしろストレス症状のひとつ、
と考えられます。

ですので、改めて
「神経症」の病名を与えられるには、

その症状や行動のために、
生活や仕事・学業や人間関係などで

明らかに支障や困難を
生むようになっている場合に
「神経症」と名付けらることになります。

カテゴリー心と身体