厄介なこころ


「期待」と怒り

人の心や感情には
どうにもやむを得ない動きがあります。

そのひとつに
次のような形をとることが挙げられます。

たとえば、相手(他者)や物事に対して
「こうあって欲しい」
「こうであるべき」
「こうであるのが当たり前」というような

期待する心・要求する気持ちが
強ければ強いほどに
あるいは
切実であればあるほど

その期待や要求が
叶えられなかったり、裏切られた時に

とても大きなショックだとか
傷つきが生じることです。

そして、そのショックや傷つきは
次の瞬間に

怒りや憤りへと
姿を変える場合があります。

相手や対象との関係性によっては、
直接的に、怒りや憤り・苛立ちに
つながっていきます。

このような心・感情のプロセスは
上でも記したように

期待する心・要求する心が
強ければ強いほど
激しいものになります。

| 右でも左でもなく |

「期待する心」というものは
このように厄介なものですが、

しかし、
期待や希望というものがあるからこそ
たとえ今が辛くても
わたしたちは
生きてゆくことが出来る・・・

そんな場合があります。

「期待する心」を
一律に否定するのではなく、

特に、日常の生活・
日頃の人間関係の中では、

わたしたちの心は
上に記したような形をとるものなんだ
・・・ということを

理解しておくことが
大切になるように思います。

わたしたちは、
自分と折り合いをつけられる程度でしか
他人と折り合いをつけられない。

  〜 ポール・ヴァレリー 〜

カテゴリーひとり言・随想