「中華山口」へのオマージュ


最高の広東麺(かんとんめん)の店
(2011年に記す)

池袋は、わたしが学生だった時の「馴染みの地」だった。(東京都内には、池袋という大きな繁華街がる)。
理由は、「池袋東急」という映画館で、学生のときにアルバイトをしていたからだ。そして「中華山口」も池袋駅の地下街にあった。

駅の地下街の小さな中華の店。でも映画館でアルバイトをしていた時には、入ったことはなかった。中華山口を横目に見ながら、その隣にあるカレーの店に、いつも入っていたからだ。

中華山口で食べたのは、社会人になって何年かしてからだ。池袋に行った時に、たまたま気まぐれに入ってみたのが、最初だった。

中華山口の広東麺は、ほんとうに美味しかった。
ことにスープは絶品だった。入っている具材のエビも、きちんと下拵えがされているので、プリプリしていて美味しい。
ここの広東麺が、わたしにとっての最高の広東麺だった。

池袋でアルバイトをするようになったきっかけは、映画好きの大学の友人が、池袋東急で、遅番のアルバイトの一人として働いていたからだ。
当時、池袋東急には、窓口で入場券を売る人と、入り口で入場者対応をおこなう二人の女性従業員がいた。
一人は最終回が始まる前後に帰る。その代わりにバイトがひとり入ることになる。もう一人の女性も、最終回が始まって三十分ほどして窓口を閉めてから帰る。遅番のアルバイトは、上映が終わると、巡回施錠などの閉館作業をおこなって、遅番の男性従業員の人と一緒に映画館を出る。

わたしが池袋東急でアルバイトをしていた当時は、いまビックカメラとヤマダ電機が並び建っている通りは、池袋東急をはじめ、いろいろな映画館がずらっと並ぶ映画館通りだったのである。

時々、彼が他の用事でバイトを休む時に、代役を頼まれて行っているうちに、支配人(映画館の責任者をこう呼ぶ)から、夏休み等のアルバイトも頼まれるようになった。
夏休みや冬休みなどの長期休暇は、映画界も搔き入れ時で、何人ものアルバイトの手を必要としていたのである。

人気映画を上映し、館内でポスターやグッズを発売する。人気映画になるほど、グッズの品数も増える。映画館前に行列ができることもある。
すごい人気映画のときには、上映回ごとの入れ替え制をおこなうことも出てくる。案内誘導をする。グッズは休憩時間に一気に集中するので、凄いことになる。戦場のようだ。嬉しい思い出は、高校生の女の子に、差し入れのプレゼントをもらったことだ。

上映が始まると、休憩時間の間に売り上げた売店やグッズ等の集計と、品物との数合わせ、つまり棚卸しをおこない、事務所に報告し、品出しもおこなう。館内の売店の手伝いもする。でも自由に映画を観ることも出来た。

これらは、ビックカメラができる少し前のことである。たしか、わたしが映画館のアルバイトを終えた直後くらいに、ビックカメラができたと思う。あそこには元々、和風喫茶の店があり、アルバイトの休憩時間に、映画館の女性従業員の人に連れられて、時々だが入ったことがあった。

わたしは、好きなもの、気に入ったものがあると、そればかり注文するクセがある。他は食べない。中華山口に初めて入ってから、もう二十年以上になるはずだが、広東麺以外のものを注文したことは、ほんの数えるくらいしかない。わたしにとって、中華山口とは、最高の広東麺の店なのだった。

初めて入ってからは、池袋へ行った時にはよく食べに寄るようになった。しかしアルバイトをやめてからは、池袋へ行く機会は減っていて、さらに社会人になってからは、特にめっきり減っていった。たまにジュンク堂へ行く時くらいになっていた。

一・ニヶ月前に、久しぶりに中華山口へ行ってみた。
前に来てから半年以上がたっていたと思う。行ってみると、店の入り口はシートで覆われ、内装工事をしているようだった。どうしたんだろう。張り紙がしてあった。店を閉めたというのである。

「もうあの広東麺を二度と食べられないんだ」。軽く呆然として、そして落胆した。そしてすぐに「きっと社長が亡くなったんだ」と思った。

もう数年前から、あの小柄でメガネをかけた社長の姿が、店からなくなっていたからだ。
いつもレジのところにいて、店員や客に声をかけていた。何故かは分からないが、ある時からいつも五十円引きにしてくれたっけ。

その社長を見かけなくなって、なんとなくだが、もしかすると病気で入院しているのではないか、と想像していた。でも店の人に、敢えて訊くことはなかった。店の人同士が「社長が・・・」と小声でなにか話しているのを、耳にしたこともあった。

きっとまた戻ってくる、と思っていた。だから中華山口が閉店になるなど、少しも想像していなかったのである。

悲しかった。ただの客の一人にすぎないのに。


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