夫婦面談〝自分目線〟の意味

夫婦(カップル)カウンセリングでの話

| はじめに |

夫婦(カップル)カウンセリングは
欧米では一般的でも

残念なことに、日本では
認知度が余り高くありませんでした。

しかし、それも変わってきています。

ひとつには
数年前までは、奥さんが提案されて
ご主人がそれに付いて来る、という形が
ほとんどだったのが

最近では、ご主人が提案されて
お二人でお越しになるケースが
増えてきています。

夫婦・カップルのカウンセリングは
こちらを御覧ください。

夫婦(カップル)カウンセリング

自分目線の大切さ

夫婦カウンセリングでは
お二人が同席され
カウンセラーが中立的な立場でご一緒しながら
話しをしていきます。

その際に、ひとつ大事になることは

できるだけ、
自分目線〟で話していただく
・・・ということが挙げられます。

ご自分目線でお話しいただいて大丈夫です。
というよりも、できるだけご自分目線でお話しいただくことが、むしろ大切になります。

そう申し上げることがあります。

出来るだけ〝自分目線〟であること。

個人カウンセリングでは
自ずからそうなるのですが

夫婦・カップルカウンセリングでは
相手が同席してのことなので
忘れがちになります。

| 自分目線の意味 |

夫婦といえど、別々の人間同士です。
しかも、男女の違いもあります。

同じ出来事だとか
二人の間でのやり取りの中にあっても

お互いそれぞれが
そこに違う風景や意味を見ていたとしても
なんら不思議ではありません。

そして実際に
違うものを見ているものです。

相手の心の中のことまでは
分からないからです。

冷静に話し合える場の中で、

どこが重なり合っていて、
どこが、どんなふうにズレているのか。
あるいは、ズレて来たのか。

・・・ということを
「具体的な出来事」を通して
少しずつ整理し、理解してゆくこと。

それは、どのカップルにとっても
意味あることに違いありません。

今日は、いろいろ気づきがありました。
・・・そうした言葉をお聞きする機会は
少なくありません。

そのためには、
できりだけ自分目線で話しいただく
ということが
大切になります。

しかも
そうした話し合いのためには

お互いが「冷静に話し合える場」
というものが
やはり不可欠になっていきます。

認識することの大切さ

さらに申し上げると、

生きた関係〟というものは
とてもデリケートな性質のものです。

神は細部に宿る
という言葉にあるように

大雑把な概要・大雑把なお話では
到底、関係の持つデリケートな部分に
至りようがありません。

どこが重なり合っていて、
どこが、どんなふうにズレているのか。
あるいは、ズレて来たのか。

カウンセラーを交えた話し合いの中で

お互いそれぞれが
何か感じられるものが出てくる。
気づきが得られてくる。

・・・ということが大切です。

そのためにも、まずは
どうぞ、自分目線でお話しください
・・・そう申し上げています。

カテゴリー夫婦関係

カウンセリングの物語


カウンセリングについての話

| はじめに |

ここでは、
カウンセリングを続けてゆく中で

ご相談者の内側に
生まれて来るかも知れない
ひとつの心の動き

・・・について、触れています。

ただし、ここで触れている心の動きは
どなたにも起きてくるもの
・・・というわけではありません。

元々のご相談の内容。

ご相談者のカウンセリングへの関わり方。

・・・こうした事によって
カウンセリングの中身や質も
当然、違ってくるからです。

自分の気持ちに出会う旅

これ以上進みたくない、
このままの自分でいたいって思うんです。

・・・・・・・・・・・・

どっちが本当の自分なのか、分からなくなっている。
こうして(カウンセンリグで)考えてゆくことで、楽になるかも知れないし、変わるきっかけになるかも知れない。
そう思う自分もいれば、次の日には、なんだか進みたくない気持ちになったりして。
行ったり来たりしている自分がいます。

・・・・・・・・・・・・

自分は、本当に良くなりたい、立ち直りたいと思っているんだろうかって考えると、やっぱり心の底では、今のままでいたいと思っているような気がします。

・・・・・・・・・・・・

もうこれ以上、良くなりたくない。

・・・・・・・・・・・・

これらの言葉・述懐は
すべてご相談者の方が面談の中で
わたしに語って下さったものです。

お読みになって
意外に思われるでしょうか?

しかし、人の心に添うて
一緒に考えていきさえすれば
少しも意外な言葉ではありません。

      

自分の心に添うてゆく旅

上のような気持ちを
語って下さった方たちが

そこでカウンセリングをやめてしまったか
というと、皆さんそうではありません。

もちろん、お話しをしていて
ずくに、こうした気持ちや内心を
お話しされるわけではありませんし、

ご自分の中に眠っていた気持ちに
思い至るわけではありません。

いずれの場合でも

お話しをされてくる中で
これまでとは違う何かが
ご自分の内で動き始めつつあるような時に

上に記したような内心を
語ってくださる気がします。

楽になるっていうことが「こうあるべき・こうありたい」っていう、自分の理想を諦めること、投げちゃうことのように思えてしまう。
そう思うと、すごく虚しくなってしまうんです。

・・・・・・・・・・・・

◯◯◯のところがなくなったら、わたしらしさがなくなってしまう気がする。そう思うと悲しくなってゆく。

・・・・・・・・・・・・

このような気持ちや心境を
語ってくださる方も、いらっしゃいます。

春の季節に向かって

こうした気持ち・こうした時期は

あたかも、
そこまで来ている春の季節のために
木の芽が芽吹くのと同じ様に

とても自然なこと・
とても自然な気持ちだと思っています。

        

それは、
その人の内側で・その人の中で
大切な〝なにか〟が育まれている時です。

卵を抱いている鳥は
じっと動かなくなるものです。

故・下坂幸三氏は、
たとえば、このように語っています。

症状が良くなってくると、だんだん患者さんは、それをためらうようになります。
なかなかそれ以上進まない時期が来るようになります。
フロイトはそれでいいんだと言いました。

無理に治そうとしなくていいよ。
症状を温存しながら、気持ちのありようを、少しずつ消化していくことが大事だよ、と 。

下坂幸三 精神科医・心理療法家

カテゴリーカウンセリングの話


カウンセリングを振り返って | 体験手記目次

ご相談者の方にお願いして
ご自分のカウンセリング体験として
書いていただいたものです。

カウンセリングをお考えの方に向けて
 ご自分の体験をお伝えいただく

・・・という主旨です。

書いて下さった方々には感謝申し上げます。

お名前はすべて仮名です。


ご質問にお答えして[3]

カウンセラーとしての知識としてDVや調停についてちゃんと知っていた方が良いでしょうか?・・(以下略)

今はネットを通して、いろいろな情報を
誰でも手軽に得られるので

知りたい・知る必要がある、と思えば
人はネットで検索をして
様々な情報に触れているものです。

ご相談者のほとんどは
いろいろ自分で何かやってみたり
身近な人に相談したり話したり。

本を読んだり、ネットで調べたりした
その後に
カウンセリングにいらっしゃるものです。

まず第一番にカウンセリング
・・・という人は、残念ですが
いらっしゃらないと思います。

ですからカウンセラーが
何処にでも書かれているようなこと、
誰でも言っているようなこと

そんなものを提供しても
相談される方にとっては

これまで見えずにいた何かを
発見したり、気づいたり。
あるいは、自分自身への理解を深めたり

・・・ということには
つながらないように思います。

一見否定的なものの中に

どのような価値や
かけがえのない意味を見出してゆくか
・・・ということが

カウンセラーに課された
もっとも本質的な仕事のひとつ
・・・だと思います。


ご質問にお答えして・目次

ご質問にお答えして[2]

適応障害と診断されて通院中です。
いわゆるAC(アダルトチルドレン)だと言われました。そこで薬だけではなく、カウンセンリグでも治療や解決が可能でしょうか。

適応障害、そしてアダルトチルドレン
という診断が間違っていないとすると
それはお薬が治せるものとは
少し違うかも知れません。

           

いま通院されている問題で
お薬の出来ることは

A Cと云われるような
なんらかの〝生きづらさ〟を抱えながら暮らしていらっしゃる中で、何かのきっかけで、辛くなったり苦しくなったりして生じてくる〝症状〟

(適応障害とは、そういう意味です)

たとえば、ですが
気分がひどく落ち込むとか
情緒的に不安定になる。

あるいは、眠れなくなったり
・・・などの〝症状〟を
改善することだと思います。

もちろん
お薬がご自分に合ったものでしたら
それによって症状が改善されることも
あるかと思います。

たとえば風邪薬にしても
ご存知のように

風邪による症状・・・
セキや鼻水、喉の痛みなどを
抑えたり改善するもので

風邪そのものを
治しているわけではありません。

風邪薬のCMでも
つらい症状には」と云っています。

        

ですので、お薬が
アダルトチルドレンと呼ばれるような
〝生きづらさの元〟になっているものを治しているわけでは、ありません。

そしてお薬が治せる性質のものでも
ないように思います。

何故かというと
「こころ」が元になっているものは
お薬が治せるものとは質が異なるからです。

たとえば、加藤忠文氏が
うつ病に関する文章の中、ですが
次のようなことを語っています。

以前は、精神科医も「うつ病は脳の病気であり、薬で治る」ということを啓発しようと務めてきたが、行き過ぎる結果を招いている。
とりあえず抗うつ剤という画一化した医療が蔓延しているだけでなく、患者の側も、心の葛藤を脳の障害であると訴えるようになってしまった。
いまや逆に、なんでもかんでも脳の病気ではないし、薬だけ飲んでいればよいというものではない、と啓発しなければならないところまで来てしまった。

加藤忠文 精神科医

大事になること

ですので
カウンセンリグをお考えのことは
当然あると思います。

その時に、大切なことがあると思います。

それはどういう事かと云うと
大きな意味での
カウンセリングの目的・目標として

「アダルトチルドレンを良くする」
「アダルトチルドレンを治す」
・・・と考えるのではなく

あなたが前よりも、少しでも
楽に生きられるようになった
楽にいられるようになった

・・・そう感じられるようになること。

関連ページ
▷▷〝変わる〟をみつめて

そのことを
カウンセリングを続けてゆくことの
最も大切な目的として

ご相談者とカウンセラーとが
共有してゆくことで

時間は少しかかるかも知れませんが
きっと大切なものが
得られれてゆくように思います。

ご質問にお答えして・目次

症状の布置(ふち)とは


症状の布置(ふち)」とは、
聞き慣れない言葉かも知れません。

しかし、臨床や治療においては
症状布置への視点は
必要不可欠なものと考えられています。

症状の布置を考える

ひと言で云うと、症状布置とは

複数の症状がみられる時に
それら症状同士の関係を考える
・・・ということを意味しています。

症状間の構造を考える、とも云います。

中安信夫氏が、次のように語ります。

複数の症状の症状布置(何が原発症状で何が続発症状であるのか、更にはその続発症状は、どのような因果関係によるものかという、複数の症状の構造化)を考え、状態像を明らかにしてゆく。
中安信夫 精神科医

| 原発症状と続発症状 |

原発症状とは

一番最初に出現したもの。
あるいは、
複数の症状が見られる場合には
それらの〝根っ子〟に当たるもの
・・・という意味になります。

続発症状とは

原発症状との因果関係において、
あるいは
その影響下において起きている症状
・・・という意味になります。

続発症状のことを
二次症状・三次症状とも云いますし、
付随症状とも云われます。


症状布置を欠く診断

精神科医の神田橋條治氏は、
近頃の症状布置の視点の欠けた診断・治療ついて述べています。

昨今、治療につながらない診断が横行している。最近、紹介状を見ると、四つぐらい診断名が付いていることがある。
たとえば、発達障害・適応障害・PTSD・不安障害と診断が並べられ、それぞれに効果があるとされる薬を出している。
それぞれの診断の間の、どれがどれの付随症状か、というトータルな視点
(症状布置への視点)はない。
昨今の診断の付け方は、見かけ上の、本質を問わない方向に流れている。

神田橋條治

中安信夫氏も、ある事例検討の中で
次のように語っています。

(この例に出された症例の誤診では)
最大の原因は、何が原発症状で何が続発症状であるか。
加えて、それら続発症状は、どのような因果関係によるものか、という複数の症状の構造化である「症状布置」という観点が欠けているからです。

たとえば、患者に抑うつ症状を認めた場合、私ならば、それは原発症状なのか、それとも何かに起因した続発症状なのかを鑑別(見分ける)するよう心掛けます。

そして、その抑うつ症状が、何かによって引き起こされている反応性のもの(続発症状)ならば、その症状を引き起こした主要因はなんだっただろう、と考えます。

この症例の場合には、その主要因は初期統合失調症による苦悩であると判断し、結局抑うつ症状は二次的なものであって、治療上の最重要症状とはならない、と判断されます

中安信夫・精神科医

つまり、例に出された症例の場合には

抑うつ症状は
初期統合失調症という病によって
患者さんにもたらされた二次症状なので

元にある病への治療が
最も重要になる、という意味です。

症状の元にあるもの

このようにして
複数の症状を構成的に捉えてゆくこと。

それを
症状布置を考える」と云います。

では、なに故に臨床や治療では
症状布置への視点が大切なのでしょう。

その理由は、
元にある病態は何なのか
・・・という見立てがなければ

本質的な意味での治療が
望めなくなるからです。

症状そのものは病気ではありません。
身体の症状の場合でも、生体が自己防衛のために、そういう症状を出しているわけです。だから、すぐに解熱剤や頭痛薬で安易に症状を取り除くことは、考えものなのです。
「症状」は病気ではありません。
本当は病気(症状をもたらしている元にあるもの)を治さなくてはいけないので、症状は、むしろ体が病気に反応して出しているものなのです。
精神的なものも同じです。

木村 敏 精神科医

様々な症状が「水」だとして。

その元にあるものが
水道管に開いた穴、だとすると

症状布置の視点のないままの
治療や援助は

水道管に穴が開いて水が溢れているのに、
水道管に穴が開いている
ということが分からないままに

溢れてくる水をバケツで汲み出したり、
水に浸かった物を
慌てて片付けている姿に
似ているかも知れません。

カテゴリー臨床のはなし

脳が疲れたときには


脳の疲弊

脳が偏った活動を続けることで
休まらずに過活動気味になってくると

働きを補おうする無理によって
感覚や神経を
ひどく敏感にしていくことがあります。

たとえば
小さな音がひどく耳障りに響いてくる。

あるいは
普段なら気にならないような人の話し声が
侵襲(しんしゅう)的に感じられてくる。

感覚・神経の過敏さは
まず聴覚に現れることが多いようです。

これが脳の疲れ(過活動)を知る
兆候のひとつになります。

侵襲的とは、自分に敵意を向けてくるような・苛立たせるようなものとして感じることです。

それだけでなく

感覚・神経の過敏状態は
イライラしやすくなる、
焦りや不安感が募ってくる、などの

心理・精神的な面としても
生じることになります。

         

脳も臓器のひとつ

このような神経の過敏状態は
脳の働きが良くなったからではなく
脳の疲労によって
引き起こされているものです。

当たり前ですが、
脳も肝臓や胃腸などと同じく
生身の臓器です。

従って、
脳の疲労というものが存在します。

睡眠が一番のおクスリ

上に記したような
脳の過活動からくる疲れを取るための
一番確かな方法は、眠ることです。

睡眠が、最も正しいおクスリです。

疲れて過活動になっている脳を
休ませて回復させるには
眠ること以外にはないからです。

たとえば家にいて
何もせずに身体を休ませていても
脳(頭)は休むことが出来ていません。

こうした場合に必要な睡眠とは
中途半端な眠りではなく
とにかく眠り続けることです。

何時間眠り続けようとも、
目覚めの気分が
少しでもスッキリしている感じがあれば

それは必要な眠りを意味します。


| 脳は無言の臓器 |

脳が〝臓器〟であることを
多くの人が忘れているようです。

膵臓や肝臓は「無言の臓器」と
呼ばれることがあります。

「無言の臓器」というのは、
具合が悪くなっていても
自覚症状が現れにくい、という意味です。

しかしこの言葉は、むしろ
「脳」にこそ当てはまりそうです。