崩れる山・死んだ森林

| 忘れられた昨日の歴史 |

生き物の棲まない、
生き物が棲めない、
死んだような森や山が
日本列島には広がっています。

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自然林の崩壊  高山 宏 著
  『月刊 伝統と現代』から

あちらでもこちらでも、息たえだえの杉林、檜(ひのき)林を見ることができる。
日本列島の三分の二は山だが、その半分近くが、人工林にされてしまった。

杉の植林というのは、要するに経済林である。何十年か育てて、建築用の木材として伐採する。

建築材としては、まっすぐに伸びる木がいいからである。だから、楢(なら)やブナなどの広葉樹は役立たずで、杉や檜(ひのき)や落葉松(からまつ)などの針葉樹が、建築材には向いている。

そういう植林の代表が、京都郊外の北山杉だ。
手入れに手入れを重ね、建築材として値打ちある木を育てる。
日本列島各地に杉の植林が見られるのは、杉が一番多く使われる建築材だからだ。

植林は昔から行われていたが、規模が急激に大きくなってゆくのは、太平洋戦争後のことだ。
『拡大造林計画』という名で、広葉樹の多い自然林をみな伐採し、山をいったん丸裸にして、そのあとに杉や檜を植えてきた。

『大面積伐採方式 拡大造林』では、チェーソーやブルトーザーを使っての機械化が採用され、みるみる山を裸にしていった。

ある時、佐賀の山地を案内してもらったことがある。
山々を見下ろす場所に、『拡大造林計画 達成』と記された、大きな石碑が建ててあった。

そこから見える限りの広大な山地のすべてが、杉の植林(人工林)になっていた。

「なんにもならぬ醜(しゅう)の木(ブナなどの広葉樹のこと)」を切り払って、全域くまなく経済林に造りかえた、その大事業の達成を祝って建てられた石碑だった。

紀州の山々もそうだった。

だが、その山には、もう虫も鳥もすまない。

杉という針葉樹一種類だけになった山では、林内は暗く、野草や花はほとんど見られない。
花に寄る虫の姿もない。虫も花もない森に、鳥や獣の好む木の実もない。

針葉樹の落ち葉は腐食が遅く、地中の虫も棲みにくい。生き物がことごとく少ない山になってしまった。

それでも、育った杉の木が売れてお金になるならまだ良かったが、拡大造林計画のあと、社会情勢や経済状況が変わり、海外から安い建築材が大量に輸入されるようになって、植林の山は無用の長物になっていった。

放置された人工林は弱い。

山の中に入ってみるといい。行けども行けども見えるのは茶色く枯れた葉のわびしい色ばかりだ。
樹冠部分だけは緑だが、葉の大半が枯れてしまっている。



荒廃する人工林の姿







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わたしが、まだ小学生低学年の頃

田舎に遊びに行って
そこから車で遠出をすると、
丸裸になった山を
たまに見かけることがあった。

『拡大造林計画』の終末のあたりか・・・
予算が計上されていたら、
それを使い切らなければならない。

樹木だけでなく
山の草木全てを刈り尽くし、
山全体が
本当に茶色の土の塊になっている。

そこに、上の文章にあるように
杉を中心とした針葉樹が
びっしりと、並べるように植えられたのだ。

土の塊になった山の中腹に
記念の石碑が建っていた。

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